定点観測

ダンスに溢れるまち

パリ五輪では,ブレイクダンスが正式種目に採用されている.
1970年代のニューヨーク・サイスブロンクス地区のギャングが銃撃戦の代わりに踊ることで決着をつけるようになったことがその由来で,そのストリート文化を受け継ぐ踊りは「ブレイキン」と呼ばれる.ブレイクダンスというのは,ストリート上のバトルからスポーツイベントに引き上げようとしたマスメディアが命名したものだ.

ブレイキンがブレイクダンスとして普及していく過程は,ダンス・スクールの中にブレイクダンスが入ってくることにはっきり見られる.オリンピック種目化でその勢いは増すだろう.
しかし,日本のダンス・スクール業界は少なからず問題を抱えているようだ.

ダンス・スクール業界では指導者の権威がとても大きいらしい.ストリートシーンに「先生」と「生徒」という関係があるのは似つかわしくないと思うが,バレエのような歴史的なダンスの文化を背景に持つスクールが,いきなりストリート文化を受け入れることは難しかったのだろう.
また,練習の成果を発表する機会には,衣装代や会場費,ゲストパフォーマーの出演料をスクール生が払うこともあるようで,一回でひとり10万円ほどかかることもあるという.また,チケットの販促もしなければならず,そこにはノルマも課せられるらしい.
それでも,ダンスだけで食べていけるようになる人はほんの一握りで,学校卒業後はレッスンや発表にかかる経費を捻出しようとアルバイトに明け暮れるダンサーもいる.
なんとも厳しい世界だ.

一方,そうしたスクールに通うことができない(もしくは通わない)ダンサーは,文字通りストリートで独力で練習を積むことになる.スクールに所属しているのと比べ発表の場は少なくなるが,今ではYoutubeやTikTokでパフォーマンスを披露することもできるから,ストリートの方が気軽でチャンスは多いかもしれない.ただ,踊っている姿が映る大きなガラス窓を探してまちなかに浸み出してくる彼らの練習活動は,ギャング文化を源流にするストリートファッションとHipHopの音楽が危険や威圧を感じさせることも相まって,時として迷惑行動のように扱われてしまう.

ダンス・スクールの古い文化にも課題があって,ストリートの自由な文化にも課題があって,それでも両者は相容れない状況にある.
まちにダンスや表現が溢れていると素敵だ.パリ五輪に向けてすべきことはあるだろう.そのミッションはダンス界だけに課せられたものではない.まちにもできることはあるだろう.

髙岡 敦史

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髙岡 敦史
スポーツまちづくり会社・合同会社Sports Drive 社長 岡山大学大学院教育学研究科 准教授、博士(体育科学) スポーツ経営学を専門とする研究者であり、スポーツまちづくりの現場に多く参画している。近著に『スポーツまちづくりの教科書』(2019年、青弓社)。