大学入学共通テストのダメなとこ
大学入学共通テストは便利だ.
入試をする側にとっても,入試を受ける側にとっても,受験勉強させる側にとっても便利だから,止められない.
しかし,弱点がある.
正解がひとつしかない問題しか出せないということと,正解を導き出したプロセスは確認できないということだ.
学力を測定するためのテストは,誰が採点しても同じ結果にならなければいけない.曖昧さや正解が複数あり得るようなことは一切求められない.
共通テストは,問題を解かせるための問題から,実社会で知識を活用することを想定した問題に少しだけ様変わりした.
とはいえ,解くために使う知識も,記憶していることを求められている知識内容も以前と変わらない.結局,正解はひとつしかないから,正解そのものに関する知識や正解を導くための解法をどれだけたくさん知っているかを問われているわけだ.
かく言う私もセンター試験を受験した身だ.
今,共通テストを受けたら散々な結果になるのは明らかだ.25年前に詰め込んでいた知識量はすごかったのだと思うし,目の前にいた受験生たちの努力には尊敬する.大変だっただろうなぁ,と思う.
しかし,大学で学ぶことの多くは,正解がひとつしかないようなことではないし,社会で起こっていることのほとんどは正解はいくつもあり得る.また,正解にたどり着く方法もいくつもあって,回り道に意味があったりすることはよくある.そういう意味で,共通テストが問うていることは,めでたく入学できた大学での学びとも,実社会や時代とも乖離していると言える.
もしかすると,共通テスト対策の受験勉強が,既知の知識(というより情報)をありったけ詰め込む力を伸ばしている可能性はあるけれど,今ではGoogle先生に尋ねれば,いつでも,いくらでもすぐに情報を引き出せるから,脳内に詰め込む必要はもはやない.
2日間で10時間50分も身動き取れない状態で問題を解かせる高エネルギーで高コストな共通テストだが,あまり意味がないのかもしれない.
オミクロン株の感染拡大に伴って,感染症陽性になって共通テストが受けられなかった場合,個別大学の二次試験だけで合否判定できるようにせよ,と文科省が急に言い出したことがニュースになった.もしそういうことができるなら,共通テストはいらない.
いや,むしろ,知識量だけを問うような共通テストをやめて,正解がいくつもある,あるいは正解が分からない問題を出すような試験を各大学がすべきかもしれない.
※なおこの記事は,執筆者が大学入学共通テストに関わっていることが口外できないため,終了後に公開しています.