定点観測

はじまりは高2の冬だったかもしれない

阪神・淡路大震災発生から27年.

高校2年生の冬だった.
日頃ほとんど地震のない島根・松江がかなり揺れたから飛び起きた.
翌朝のテレビで被害の大きさを知り,安否不明の東灘区在住の伯父伯母のことが一日中頭から離れなかった.幸運なことに怪我もなく元気だったが,火災等で被害が拡大していくことに胸を痛めたり,生徒会役員として何かせねば,と思ってバタバタ動いたり,と,発災から数週間はずっとザワザワしていたことを覚えている.

結局,現地に入れたのは一年後だったと思う.
ひしめき合うように建っていた住宅街が歯抜けになっていて,更地には花が手向けてある.商店街にあった生鮮食料品店がスーパーの一角に押し込められていて,たこ焼き屋さんはまだ仮設店舗だったけれど,復興の取り組みがあちこちで動いていた.

今ふり返ると,身近なコミュニティにしか目が向いていなかった田舎の高校生だった私が,一気に広い社会に目が向いた瞬間だったのではないかと思う.そして,まち,地域,コミュニティを大切なものだと無意識に感じるようになったのも,この頃からだったんじゃないかと思う.
それは,失って初めて思う,ということではなく,被災した方々がそれらを大切なものとして復興させようとしていた背中があったからだと思う.

阪神・淡路大震災は一般的に「ボランティア元年」と呼ばれるが,私にとっては「コミュニティ元年」なのかもしれない.

髙岡 敦史

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髙岡 敦史
スポーツまちづくり会社・合同会社Sports Drive 社長 岡山大学大学院教育学研究科 准教授、博士(体育科学) スポーツ経営学を専門とする研究者であり、スポーツまちづくりの現場に多く参画している。近著に『スポーツまちづくりの教科書』(2019年、青弓社)。