定点観測

お金を必要としない社会の妄想

お金って,不思議だ.

起業してから,いや,もっとずっと前から,お金は大切だと思ってきた.
ないよりはあった方がいいし,たくさんあるとなぜか心理的に安定する.

お金は金属の塊かミツマタを原料とした紙だから,物体としては大したことないのだが,あらゆる商品やサービスと等価交換できるものだから,記号としては超貴重だ.
その記号が埋め込まれたプラスチックのカードを差し込めば物体としてのお金が取り出せたりするし,今では,「ぺいぺい♪」といった音の鳴る信号に置き換えることができるようになっていて,物体としてのお金を持つ必要すらなくなりつつある.

お金って,不思議だ.

今の社会では,お金がないとほとんど何もできない構造が完成されている.
一昔前までは,お金よりも,お米や味噌,野菜といったものの方が重要だったはずなのだが,物々交換で成立する社会は,今ではほとんど見ることはできない.
お金のためだけに生きているわけではないけれど,お金依存ゼロな生き方をイメージすることもできない.

基本的には自分の財布の中身のマネジメントすら下手な性分だから,できればお金に依存しないで済む生活ができないものかと思っている.
しかし,物々交換だけで生き続けられる社会システムは身近にないし,そもそも物々交換するために必要な物を自力で生産しているわけではないから,お金に依存しないで明日の食にありつくことすら難しい.

ならば,身体や思考を働かせることで生活物資と交換することはできないだろうか.
私の活動が他者にとって価値あるものになっているなら,他者が持つ何かと等価交換することはできそうだ.むしろ,私の活動が他者にとって希少価値を持つもので,他者が持つ何かが私にとって希少価値を持つなら,かなり大きな交換が起こる気がする.
例えば,年間通した社会貢献活動が,一年間の居住保障(つまり家)と交換される,とか,コンサルティング&事業創出の年間契約料が食材一年分で支払われる,とか.

そうやって考えていると,貯めておけるというのがお金の重要な機能だと気付くが,セーフティネットが地域にきちんと備わっていれば,余分なお金は必要ない気がする.
もちろん,税金も,学費も,上下水道や電気といった生活インフラの維持コストも,社会的弱者の生活保障コストも地域内で分担する必要がある.これもすべてお金ではない何かで代替できるといいな.

髙岡 敦史

WRITTEN BY

髙岡 敦史
スポーツまちづくり会社・合同会社Sports Drive 社長 岡山大学大学院教育学研究科 准教授、博士(体育科学) スポーツ経営学を専門とする研究者であり、スポーツまちづくりの現場に多く参画している。近著に『スポーツまちづくりの教科書』(2019年、青弓社)。