定点観測

理想のまちにほしいもの29:ちょっとくらいのことは赦し合う寛容的な空気

第29回は,「ちょっとくらいのことは赦し合う寛容的な空気」.

まちは人と人の関係で成立しているから,どこかに必ずコンフリクト(衝突や葛藤)が存在する.
こちらを立てればあちらが立たず,という状況はよくあることで,直接対決してしまうと修復不能な事態に陥ることだってある.

コンフリクトを放置しているといつまで経ってもまちは前進しないから,どこかで利害調整したり,和解したり,合意形成したり,協力・連携できるところまで持っていく必要がある.
まちの人たち全員が「まちをこうしたい」というひとつのイメージを共有できていれば調整はディテール部分で済むのだが,まちのイメージは根っこから多様で,それが各々の立場や利害からくる固有の論理を背景にしているから調整は難しい.

そうだとしたら,もう互いに赦し合うしかないだろう.
論理の異なる他者は,その存在から自己にとっては罪深い.「あいつの言っていることは間違っている!」と思うからだ.これを赦す必要がある.
自分自身が信奉している論理と相手が信奉している論理が,善と悪,正と誤,右と左を超えてひとまず等価だと考えられれば,調整のテーブルにつける.
等価だと考えるためには価値判断を一旦保留する必要があって,自分自身や相手がなぜこのような論理を採用しているのかを考えたり,どのポイントでどこまで違うのを比較分析しなければいけない.そういう思考ができた時点で,赦したことになる.
お互いにそれができれば,コンフリクト・ポイントは各々に閉じた思考の中から,両者の間に投げ出される.いい意味で「他人事」としてコンフリクトを見つめ直すことができるはずだ.

あとは,両者で楽しめばいい.
もしかしたら,自分も相手も発見できていなかったアイディアに到達できるかもしれない.
そういうまちづくりの作法を繰り出すことが当たり前のまちになったら,もう安心だ.

髙岡 敦史

WRITTEN BY

髙岡 敦史
スポーツまちづくり会社・合同会社Sports Drive 社長 岡山大学大学院教育学研究科 准教授、博士(体育科学) スポーツ経営学を専門とする研究者であり、スポーツまちづくりの現場に多く参画している。近著に『スポーツまちづくりの教科書』(2019年、青弓社)。