定点観測

理想のまちにほしいもの31:いいまちにしたい,という思いと感覚の共有

理想のまちにほしいもの,最後は結局,「いいまちにしたい,という思いと感覚の共有」だ.

最終的にはこれに尽きる.
誰も悪いまちにしたい,とは思っていない.
しかし,いいまちにしたい,とお互いに思っているという相互了解はなかなか得られないものだ.
それは,いいまちのイメージが多様で,自分と異なるイメージを持っている人に対して「本当にいいまちにしたいと思ってるの?」と疑念を持ってしまうからだ.

第29回「ちょっとくらいのことは赦し合う寛容的な空気」で書いたように,いいまちのイメージの良し悪しの判断を一旦保留することが大切だ.ひとまず,お互いに悪いまちにしたいとは思ってないという最低限の相互了解を成立させて,いいまちになったらいいよね,という思いといいまちに暮らしているという幸せな感覚だけ共有すればいい.その方向性が同じか違うかはさて置いて,まちの未来にポジティブなイメージを持っていることを確認し合ったらいい.それができたら,いいまちのイメージのどこがどこまで違うのかを比較するフェーズに入れる.きっと,それぞれのイメージにいいところが見つかるはずだ.

これは,目玉焼きには醤油か,ソースか,の議論と同じだ.お互いに美味しい目玉焼きを食べたいと思っていることを共有する前に醤油かソースかを議論すると,どちらが優位かを争うことになる.
美味しい目玉焼きを食べたいという思いや美味しいという感覚を共有できれば,相手の食べ方も美味しく想像できるかもしれない.きっとそれぞれ固有の美味しさがある.

そういう意味では,まちづくりに際して,「✕✕ではダメ」と議論するのではなく,「〇〇だといい」と議論した方がいいと言えるだろう.
まちの未来は文字通り,未だ到来していないものだ.答えは人の数と同じだけあり得る.
アイディアの正しさを競い合ったり,選択肢をひとつに絞ろうとしたりするのではなく,「〇〇だといい」を育てて大きくしていく相互共感的な対話が必要だ.

髙岡 敦史

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髙岡 敦史
スポーツまちづくり会社・合同会社Sports Drive 社長 岡山大学大学院教育学研究科 准教授、博士(体育科学) スポーツ経営学を専門とする研究者であり、スポーツまちづくりの現場に多く参画している。近著に『スポーツまちづくりの教科書』(2019年、青弓社)。