ジブリなスポーツ②
前回に引き続き,自然とスポーツについて考えていく.今回はジブリ作品が描く自然と人間のあり方について.
ジブリの初期の作品は,自然と人間・社会が対置される物語だ.
『となりのトトロ』や『天空の城ラピュタ』は,人知を超える自然に対する畏怖の念,自然を奪いながら生きるしかない弱くも魅力的な人間が描かれている.これらの作品では,人間に対して自然はとてつもなく大きく深い.
一方,『風の谷のナウシカ』では,自然と人間は並列的に描かれている.かつて自然破壊した人間は,腐海と蟲の生育域を拡げる自然によって支配し返されている.主人公ナウシカは,腐海と蟲は敵ではないと突き止めるが,人間社会としての帝国は科学の力(巨神兵)で支配し返そうとする.自然と人間が本来共生できることを訴える役割を担っているのがナウシカというキャラクターだ.
その後,2000年に公開された『もののけ姫』では,自然も人間もより複雑に描かれていて,自然と人間の対置作品のまとめになっている.
たたら場やジコ坊がほのめかす「師匠連」という組織は官僚制化された近代的な人間社会であり,主人公アシタカの故郷・蝦夷の村は自然と共生していた古い人間社会だ.一方で,シシ神様や犬神モロ,鎮西の乙事主,そしてコダマは破壊される前の自然であり,作品冒頭で祟り神になったナゴの守や言葉を忘れたイノシシたちは,破壊された後に人間を襲う自然だ.もうひとりの主人公サンは人間を襲う自然の立場にいる.
人間は,自然を利用しながら豊かな社会を築いているが,自然への畏怖の念を忘れてはいないものとして描かれている.
一方で自然は,かつて畏怖されていた神々の力が弱まり自浄機能が低下している.しかし,人間との争いに活路を見出すのではなく,共生があり得るかもしれないと思い始める,というところで映画は終わる.この作品では,人間社会の側に生きるアシタカと自然の側に生きるサンが互いに理解し合い,認め合うストーリーが展開することで,人間と自然の共生の可能性が主張されている.
サンには「あの若者(アシタカ)と生きる道もあるのだが」(モロのセリフ),結末としてそうならないのは,人間と自然の本当の共生はいまだ解決されていない課題であることを表すものだろう.アシタカも最後に「サンは森で,わたしはタタラ場でくらそう.共に生きよう.会いにいくよ.ヤックルに乗って」と言う.自然側のキャラクターであるヤックルに乗るという方法を用いなければ自然にはアクセスできないということが,人間と自然がともにあることの難しさを感じさせる.
人間は自然とどう生きていけばいいのだろうか.
人間が創った産業は,かつて自然を支配し,破壊してきた.
人間が創ったスポーツは,自然とどういう関係を築けばいいだろう.次回へ続く.