地ビールを味わうのはだれ?
東京・銀座で「SPORTS GRAPHIC スポーツ・グラフィック」(会期:2021年06月08日(火)~07月07日(水))という企画展が開かれているらしい.
見に行きたい…!
「日本を代表するグラフィックデザイナーたちが、スポーツの『動きの感覚』を呼び起こすような『高揚感』や『迫力』、構成の『美しさ』や斬新な『アイデア』、さらには批評的な『ユーモア』をいかにポスターという一枚の限られた紙面に表現してきたのか?」,「『筋書きのないドラマ』であるスポーツをどのように平面に定着させていったか、作家の制作意図やその時代背景にも目を向けます」と説明されると,いよいよ見に行きたくてたまらない.「岡山でやってくれないかなぁ…」と思ってしまう.
こういうイベントが東京をはじめとした大都市圏でしか開催されないことについて,コロナ禍前までは「まぁ,そうだよね.東京出張のスケジュールが合えば行こうかな」となんとなく受け入れていたが,出張会議がすべてオンライン化されたことで,(それはそれで便利になったけど)他地域でリアル開催されるイベントにアクセスしにくくなった.
地方創生は東京一極集中の是正が目的だ.
しかし,大都市圏と地方の人口格差は埋まらないから,情報や文化の集積力と発信力は大都市圏に敵わないのも事実だ.
それを乗り越えるのは,「大都市圏と競争するな」と「ナンバーワンを目指すな,オンリーワンを目指せ」ということなのだろうが,現状では,似たようなオンリーワンが無数に出てきて,オンリーワンの中でナンバーワンになろうと争い合う状況に自らを追い込んでいる気がする.
争い合っているポイントは「集客数」だろう.
交流人口の創出・拡大策は,減少する日本国民のパイを奪い合っていると持続不可能だから,インバウンドへ向かっている(コロナ禍でアウトだけど).
関係人口の創出・拡大策は,人をシェアしよう,という方策だ.
考え方は少し違うけれど,いずれにしても「ぜひわがまちへお越しください」という姿勢は同じだから,集客数を競い合うことに変わりない.「〇〇人口を増やそう」と言っている時点でそうなのだ.
〇〇人口を増やすことだけを追い求めても,地域は豊かにはならない.(観光客の消費単価が増え続けたり,関係人口が地域に価値を生み出し続けたりするなら話は違うが)
しかし,豊かな地域なら,〇〇人口は自然と増えるだろう.重要なことは,地域を内側から豊かにできるか,だ.
マイクロブルワリーが生産するクラフトビール(いわゆる地ビール)が流行っている.それぞれの土地の原材料を用いて作られるビールは,その土地の空気と土と水を感じることができて,まさにオンリーワンに感じる.
しかし,あっちの地ビールとこっちの地ビールが集客数(人気,かな?)で競争したら,結局,一番人が集まる東京で販売してファンを増やそう,ということになる.地域活性化を目指して始めたマイクロブルワリーなのに,東京が最も多くのクラフトビールが集まる地域になる.クラフトビールの価値を最も享受できるのは東京に暮らす人たちだ.地域には外貨が入ってくるが,それで地域は豊かになるだろうか?マイクロブルワリーは成功なのだろうか?
交流人口増加のためのスポーツイベントは,同時期に開催されるイベント同士の集客争いになっている.
週末に開催されることの多いシティマラソン大会では,参加申込期限を同時期に開催される大規模な大会(例えば東京マラソン)の参加抽選の結果発表の後に設定することがある.大規模大会の抽選に落ちたランナーに参加してもらおうという作戦だ.大都市圏のマラソン大会はライオンで,地方のマラソン大会はハイエナのように見えてくる.
シティマラソンの成功とはなんだろうか?
当日走れる人の数には限界があるから,そもそも集客数の多寡で競い合うことはできない.他地域の大会と比較せず,オンリーワンとしての固有価値を評価し,説明する指標が必要だろう.
それは,参加者満足度だろうか?それとも,リピート率?沿道の人出?経済波及効果?地域愛着度?大会前後のまちなかジョガーの数?まるっとまとめて社会的インパクト?考える余地はまだまだありそうだ.
クラフトビールも,シティマラソンも,外側にファンを増やそうとする前に,内側にまちを豊かにしようとする仲間を増やしたいものだ.
地域内に仲間が増えたら,「まちを豊かにしようとする面白い人がいるまち」というオンリーワンな価値が生まれるだろう.まちの価値とは人の価値なのかもしれない.
冒頭の企画展,東京でやってる企画展を岡山に持ってこようとしてもダメで,岡山の人たちで,岡山でしかできない企画展をして,岡山の人たちにたくさん来場してもらう,ということが必要かな,と思い直した.