「五輪に命をかける」の怪②—競技スポーツの精神性(前)
今回は,「スポーツにおける勝ち負けの競い合いにおける精神性(真剣-おふざけ,真面目-不真面目,誠実-不誠実,など)はどうあるべきか?」について考えたい.(「五輪に命をかける」の怪①はこちら)
「命をかける」という考え方の呪縛は,スポーツの世界に今でも強く残っている.
2021年7月14日,剣道部の見学に来ていた男性保護者が生徒2人に暴行する事件が起きた.「態度が武道をする者としてふさわしくない」などと部員約15人に対して20分ほど叱責した後,防具を着けた男子部員2人を倒し,頭や胴を足で踏みつけるなどしたという.
当の男性は「暴力ではなく武道の指導だ」と説明しているようで,生徒たちがどういう態度だったのか分からないが,彼の中では,剣道には練習から高い真剣さが求められるという考え方があるのだろう.
スポーツに「命をかける」という考え方は,日本人の「道の精神」が支えているのではないだろうか.
「道」は,柔道,剣道,弓道のほか,茶道や華道に見られる語だが,ベテランのプロ野球選手が「野球道」などと言ったりするし,そんな番組名の野球中継すらある.いずれにしても,技能の発揮やあらゆる実践を,人間としての生き方に関わる精神性や道徳にまで昇華させようとする考え方だ.
スポーツを競い合いとして行うことやそのための準備としてのトレーニングが,人間としての完成に向かうものと考えると,競技スポーツ=人間づくり=命づくりというロジックが形成されるのかもしれない.言わば「”遊び” じゃない」ということだろう.
一方,トップレベルの競技の世界ではドーピングが後を絶たない.トップアスリートは,高い競技成績を残すことが生活を豊かに,持続可能なものにするひとつの大きな条件だから,ルール違反をしてでも勝ちたい,ということがそこにはある.トップスポーツにおける勝敗と競技成績は,アスリートの生活を左右するほど重大事だから,「”遊び” じゃない」ということなのだろう.
しかし,これらの「”遊び” じゃない」という考え方が,暴力やルール違反を生んでいる.