定点観測

ブースター接種とまちづくりの想像力

コロナワクチンの3回目接種,いわゆるブースター接種の必要性が議論され始めている.
2回の接種を終えても感染するブレイクスルー感染が確認されていて,抗体量が減少する可能性が指摘されているからだ.

しかし,この議論が起こっているのは,国民の多くがすでに2回目の接種を終えている先進国だけだ.
アフリカ大陸やアジア圏の多くの国々ではまだ1回目のワクチン接種すらほとんど進んでいない.
世界保健機関(WHO)のテドロス事務局長は,途上国でのワクチン接種は全世界的な感染拡大を止める上で重要であることから,先進国の自国民を優先するブースター接種推進を「強欲」と非難し,経済的に豊かな国は余ったワクチンを自分たちの効果を持続させるためのブースターとして使うのではなく寄付すべきだと提案している.

2回目の接種を終えようとしているわたしたち日本国民は,このことをどう考えればいいだろうか?

わたしたちは自分自身の健康と安定した生活が大切だ.だから,最近よく耳にする「国民の命と生活を守る」ことが政府の最大の使命だと主張することが正当化される.
しかし,健康と安定した生活は,国家的な経済力と政治力を背景にしてワクチンを独占することで守っていいものだろうか.日本国内における日本国民の生命は他国民の生命よりも優先していい,と主張できるのだろうか.

環境問題を含め,世界全体が連関して生まれている問題は,よく「地球規模(世界規模)で考える」と言われる.
しかし,「地球」や「世界」を自分事のように身近に想像できる人がどれくらいいるだろうか.直面する問題を曖昧にさせ,当事者性を低減させるのではないだろうか.

ワクチン接種の国家間格差の問題は,地球の裏側のまちに暮らしている人たちがまだ一回目のワクチン接種すらできていない、という具体的な事象として現れていて,しかも先進国のブースター接種がその人たちの一回目のワクチン接種を妨げるという近未来も見えている.
わたしたちが3回目を接種するということは,アフリカ大陸のどこかのまちに暮らす人に今まさに打たれようとしているワクチン入りの注射器を「あなたの命よりも私の命の方が大切だと日本国政府が言うから」と目の前から奪うことだ,と想像するとどうだろう.

まちづくりも同じだと思う.
様々な地域課題があるが,その課題に直面していない人たちにとってそれは他人事だ.ましてやその課題の解決が自分自身の生活に対してネガティブな影響を及ぼすとなれば,解決そのものを拒むことすらある.「あちらを立てればこちらが立たず」な状況はよくあることだ.

話し合うしかない.
まちづくりなら,地域課題とその解決に関わる人たち(あるいはその代表)が,それぞれが目指したいまちの未来像を出し合い,時間をかけて合意形成する他ない.
ワクチンの国家間格差問題は,各国首脳が,それぞれが目指す国際社会の未来像を出し合って合意形成してほしいものだが,国家主義が台頭する今日では期待薄だ.

髙岡 敦史

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髙岡 敦史
スポーツまちづくり会社・合同会社Sports Drive 社長 岡山大学大学院教育学研究科 准教授、博士(体育科学) スポーツ経営学を専門とする研究者であり、スポーツまちづくりの現場に多く参画している。近著に『スポーツまちづくりの教科書』(2019年、青弓社)。