定点観測

国土強靭化とスポーツ

雲がすごい勢いで流れていて,台風14号が近付いてきていることを肌で感じられる.
各地で被害が出ないことを祈っている.

近年,台風の大型化や被害の甚大化が目立っていて,南海トラフ地震や直下型地震の発生リスクも分かっていることから,国家的な防災・減災や災害に対する事前の備え,被害の最小化,回復・復興の迅速化を促す「国土強靭化(ナショナル・レジリエンス)」の取り組みが全国各地で進められている.

河川や道路,電力や燃料,教育や福祉,農業や漁業,警察や消防といったわたしたちの生活の基盤を構成する32の領域について対策が講じられる計画だ.

芸術やスポーツといった文化領域については特に指定はない.そうしたことは基本的な生活が復旧した後,ということだろう.
コロナ禍における各種イベントの延期や中止,東京2020オリパラの開催をめぐって同じような議論があった.「スポーツは不要不急か?」だ.

「定点観測」でも,全4回にわたって書いていた.
週末はスポーツだ♪ ・・・不要不急か?(2021.06.20)
不要不急 vs 必要至急,かみ合ってる?(2021.06.21)
不要不急 vs 必要至急,スポーツは基本的権利か?(2021.06.22)
不要不急 vs 必要至急,スポーツは大切か?(2021.06.23)

そこで書いたことを要約すれば,スポーツは不要不急だ/必要至急だ,というふたつの主張は,スポーツそのものの価値に関する問いではなく,どちらも根っこでは「スポーツも必要だし,感染予防も必要だ」と考えていて,しかも,原理的にかみ合わない.
議論する上で問わなければならないことは,「スポーツは人類の生存や進化にとって根源的な意味を持つと言えるか?」ということであり,「わたしたち人間は,感染予防しながら,どのように遊び,幸福と未来を追求するか?」ということだ.
導き出した結論は,「遊びは,未来を創る活動で,人類が(ヒトとしてではなく)人間として存在するための基礎だ.そして,スポーツはその遊びのひとつの形」だから,「感染予防が遊びを制限するのはセンスがない」とした上で,「目一杯遊ぶために,どのような感染予防対策をすればいいか,あるいは,遊びがもっと楽しくなるような感染予防対策を考えたい」と締めくくった.

さて,災害発生から復旧に向かう期間のスポーツや芸術についてどう考えればいいだろう.
多くの人が日常を奪われ,避難所生活を余儀なくされている状況下で,遊びとしてのスポーツや芸術活動が「人間として存在するための基礎」だと主張できるだろうか.

回答は「是」としたい.
避難所生活は厳しいものだし,生活復興までの道のりを考える課題山積だが,そんな時間も,人間として生きている時間だ.遊びは人間として生きる限り必要不可欠だ.

西日本豪雨災害の避難所をボランティアとして何度か訪れた.
避難所開設からほんの少しの間に,食べることや寝ること,洗濯や簡易的な医療などの生活に必要なものが揃っていた.
しかし,子どもたちがいつも遊んでいた体育館は避難所そのものだし,校庭には車が並び,中庭には救援物資や必要機材が積まれていた.遊ぶためだけの空間はほんのわずかだった.
わたしたちボランティアは,それでも何とか子どもたちを遊ばせようと,わずかな空き教室や図書室に学童保育のような場を用意したが,全力疾走で走り回れないもどかしさを感じた.

国土強靭化は必要だ.
しかし,人々が衛生的で安全に生存するために必要なハードインフラのレジリエンスだけでなく,人々が文化的で健康的に生きていくために必要な文化的インフラのレジリエンスも必要だろう.

髙岡 敦史

WRITTEN BY

髙岡 敦史
スポーツまちづくり会社・合同会社Sports Drive 社長 岡山大学大学院教育学研究科 准教授、博士(体育科学) スポーツ経営学を専門とする研究者であり、スポーツまちづくりの現場に多く参画している。近著に『スポーツまちづくりの教科書』(2019年、青弓社)。