定点観測

パラレルワールドのまち

涼やかな秋風が舞い始める頃になると,大学は3学期(所属大学は4学期制のため,後期は3学期と4学期)が始まる.大学は8月と9月と長い夏休みだから,還俗するのに多少時間がかかる.

アインシュタインを持ち出すまでもなく時間の流れは相対的で,授業のない夏休みとは言え,教員に流れている時間と学生たちに流れている時間は違うし,一般社会に流れている時間とはこれまた全く違う.

夏季休業中の教員は,お盆以外は通常業務だから,授業の代わりに会議や研究等に追われている.
学生たちは,きっとアルバイトや集中授業,高学年は教育実習もあって,それはそれで忙しくしていることだろう.
一般社会には夏休みなどなく,通常営業中だ.

まちは,多様な時間軸が幾重にも重なったパラレルワールドだ.
「オレは忙しいんだ」という主張は自己中心的で,時間はそれぞれに固有で,それぞれの忙しさがある.

そう考えることができると,スポーツをしたり観たりするのに時間を割くのも,動機づけやニーズで測定できる類のものではなく,人それぞれの時間の中にスポーツをどのように位置づけるかというスポーツに対する価値観によって決定づけられているものだと受け入れられる.まちづくりに対する参画と貢献も,一律に一日24時間しか与えられていない人たちのまちの未来に対する価値観によるものだ.「まちづくりに貢献しないとは,なんて短絡的な生き方か」などと思うこと自体,自己中心だ.

岡山市長選挙が近い.
近年,投票率が低い.
「投票率は民度(市民的リテラシー)を反映している」と言われるが,この言明は,「投票することは,まちの近未来に参画することだ.参画しないとはけしからん」という一面的な価値観に基づくものだ.
おそらく,低い投票率の背景には,投票しても何も変わらないという政治と行政に対する失望に似た価値観が奥底にはある.

問題は投票率が低いことではない.それは結果だ.
問題の根っこは,政治と行政に対する「より良いまちづくり」への期待が薄いことだ.

代表民主主義(間接民主主義)を採用して長い年月が過ぎた.
日本国内では,一票の格差について絶えず訴訟問題になっているし,事実上の総理大臣を決める自由民主党総裁選挙の民意反映については,決選投票で派閥の論理が浮上するといった議論が起こっている.
投票のあり方は色々と議論され,様々な方法が試行されている.今年6月のニューヨーク市長予備選挙では,最大上位5人まで順位付けして投票するランク方式が採用された.また,いまだ夢想レベルだが,生体センサーで収集した好悪データや監視カメラやSNS等によって収集された言葉から自動で民意を分析して当選者を決めるアイディアまで出ている.民主主義のカタチも刻一刻と変化しているのだ.

いずれにしても,より良いまちづくりに向けた政治と行政に対する期待薄な状況は,民主主義の根幹を揺るがす危機だ.とは言え,政治と行政に頼らないまちづくりがマジョリティになるほど市民社会は成熟も拡大もしていない.

市民一人ひとりの時間は固有で,まちはパラレルワールドだ.
まずはそのことを市民が受け入れ,パラレルワールド(つまり多様性)を基盤にした政策立案と意思決定のシステムを構築する必要があるだろう.
それは,学生たちの都合を認め,その中でより良い教育を展開しようとする大学にもヒントがあるかもしれない.つまり,「違いを認め合い,最適解を共創する」ということだ.
そのためには,今のところ,対面で対話するほかない.コロナ禍でわたしたちが最も多く失った時間だ.
センサーと言語分析AIによって構築された自動化システムに民意を表現してもらうか,あるいはわたしたちが対話を通して合意形成するか,それともこれまでの投票による民意表現のどれを選ぶか,分岐点は間違いなくすぐそこまで来ている.

髙岡 敦史

WRITTEN BY

髙岡 敦史
スポーツまちづくり会社・合同会社Sports Drive 社長 岡山大学大学院教育学研究科 准教授、博士(体育科学) スポーツ経営学を専門とする研究者であり、スポーツまちづくりの現場に多く参画している。近著に『スポーツまちづくりの教科書』(2019年、青弓社)。