定点観測

スポーツはコロナ禍圧力を自覚する市民を育てる

10月に入っているというのに,日中は30度まで気温が上がっている.
コロナ禍のあらゆる宣言が解除されているのだが,昼間のまちなかの人通りはあまり変わらない.
アフターコロナやウィズコロナというワードが具体的にどういうことを指すのか,いまだに理解に苦しんでいるが,まちは明らかに感染拡大期の行為規範から抜け出せずにいるようだ.かく言う私も,宣言解除をトリガーにして「飲みに行きましょう!」と一気に動き出せずにいる.

本来,わたしたちの生活習慣は,わたしたちの意思によって形作られるもののはずだ.「今日は暑いから半袖ででかけよう」とか,「最近飲みすぎだから,今日は少しお酒を控えよう」とか.
しかし,コロナ禍においては,いつの間にか「緊急事態宣言が出ているから〇〇しよう」と,意思決定が外部化されてしまっている.そして,宣言が解除されても,その支配力は残存している.

新型コロナウィルス感染症は,いまだに未知なことが多く,市民一人ひとりが個人の意思によって行動を決定するための確固たる情報がないのは確かだ.しかし,市民が意思決定を外部化することに慣れたところに,極端な政治や宗教が入り込んでくる.「今は△△な状況だから,〇〇した方がいい!」と声高に訴えられると,それに従ってしまいやすくなる.

市長選挙の投票参加にも,コロナ禍のまちなか生活にも,秋らしくない陽気にも,ひとりの人間としての意思を発揮したいものだ.
スポーツは,その場にいるプレーヤーですべてを決めていい.決めなくては楽しくない.そういう意味で,スポーツで遊ぶ人間(ホモ・ルーデンス)としての主体的意思を発揮することが自然と要求される.スポーツが市民を育てる,ということのひとつの論拠はここにある.
一時的かもしれないけれど,コロナ禍が収まっている今,スポーツで遊ぼう!

髙岡 敦史

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髙岡 敦史
スポーツまちづくり会社・合同会社Sports Drive 社長 岡山大学大学院教育学研究科 准教授、博士(体育科学) スポーツ経営学を専門とする研究者であり、スポーツまちづくりの現場に多く参画している。近著に『スポーツまちづくりの教科書』(2019年、青弓社)。