定点観測

喫煙所とスタジアム,喫煙者とサポーター

私は喫煙者だ.
大学院生の頃は,まだ室内で吸えていて,一日に20本以上吸っていた.
今は,職場が敷地内禁煙だから敷地の外に出る必要があって,一日10本程度になったが,吸える場所ではチェーンスモーカーに戻る.

今の世の中,喫煙者はマイノリティだ.
だから,喫煙所では,言葉を交わさずとも,妙な親近感を感じる.

ここで喫煙についての是非を議論するつもりはないが,喫煙者として感じるマイノリティ感は,匂いや副流煙を浴びているかもしれない他者に対する罪の意識に基づくものだと感じる.喫煙所は,そういう意識を無意識に共有する空間なのかもしれない.

まちには,意識を共有するような場所がいくつもあるはずだ.
夜の歓楽街が周辺エリアと空気が違うのは,「酔い」を共有しているからだろう.
ラジオ体操に高齢者が集まる早朝の公園は「老い」や「余生」を共有する場所になるが,日中,同じ公園に学校をさぼった若者が集まると「反抗」や「刹那」を共有する場所になる.
そういう場所は,マイノリティにとって必要不可欠なのだが,その凝集性から閉鎖的になりがちだ.

スポーツ施設にも同じことが言えるのではないかと思う.
ひとつのスポーツ種目専用の施設は,ある一部の意識の共有性を高める.サッカー専用スタジアムが,ホームクラブの応援に集うファンの熱を最高に高めるのは,ピッチが観客席に近いというだけではないかもしれない.
聖地化したスタジアムのファンは凝集性と閉鎖性を高め,外部に対して排他的・攻撃的になりがちだ.異質性を受け入れることが難しくなる.

まちは,それではいけない.
喫煙所で親近感を感じる私も,スタジアムで暴徒化する熱狂的なサポーターも,似たようなものだ.コミュニティは,その維持に凝集性を必要とするが,異質性を受け入れ,多様性を内包することも同時に必要だ.

できれば,副流煙に全く害のない煙草を開発してくれないだろうか.
時折吸う,オーガニックの紙巻き煙草は健康に良い(わけない)が,罪の意識は少しも小さくはならない.

髙岡 敦史

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髙岡 敦史
スポーツまちづくり会社・合同会社Sports Drive 社長 岡山大学大学院教育学研究科 准教授、博士(体育科学) スポーツ経営学を専門とする研究者であり、スポーツまちづくりの現場に多く参画している。近著に『スポーツまちづくりの教科書』(2019年、青弓社)。