スポーツと地域

オリンピック開幕の今だからこそ考えたい地域スポーツの〝力〟

 東京五輪がとうとう無観客のまま開幕することになった。新型コロナの猛威が世界中で荒れ狂う中、当初のスケジュールからは1年延期されての開催。この間「スポーツの価値」をめぐる議論がさまざまなメディアで交わされてきたが、トップアスリートの素晴らしいパフォーマンスとその裏側にある感動物語、人気スポーツリーグの観客動員数や経済効果だけでは、「価値」と言われてもピンとくる人は少ないかも知れない。 「スポーツの価値」は地域社会の「コモンズ」(共有財産)たり得るのか-。その問いのヒントになりそうな現象が今、皮肉にも長引くコロナ禍にあえぐ岡山県南部のある地域で表面化している。

 「郵便物がね、配られなくなったんですよ」。総社市清音地区の総合型地域スポーツクラブ「きよねスポーツくらぶ」(SC)の事務局を務める三宅厚自さんが意外な言葉を口にした。「コロナ禍で一番困っていることはなにか」という問いに対してだった。

 最初は三宅さんが質問を聞き違えたのかと思ったが、理由を聞いて納得した。

 SCには現在、サッカーやヨガ、ヒップホップダンスなど50を超える教室があり、ほぼ毎日何かしらの活動が行われる。これは、県内に40余りあるSCの中でも他に類を見ないほどの多様性を誇る。

 会員はおよそ900人(2020年度)。SCのクラブハウス「きよね夢てらす」には小学校が隣接しており、終業のチャイムが鳴れば多くの子どもたちが「ただいまーっ」とランドセルを背負ったままなだれ込んでくる。午前中はお年寄りが卓球やビリヤードを楽しみ、赤ちゃんとその母親が伸び伸びと遊ぶ。夜には仕事を終えたサラリーマンが一汗流そうと顔を出す。 こうやってさまざまな世代の住民が入れ代わり立ち代わり出入りする中で、市や地域のお知らせを「夢てらす」のポストに置いておくと、自然と「うちの近所のやつはついでに配っておくよ」という流れになる。そのサイクルが昨春以降のコロナ感染拡大で断続的にクラブの活動が休止を余儀なくされる中で、滞っているというのだ。

 「当時は村民皆スポーツ、村民皆ボランティアが〝村是〟だったんですよ」とSCの設立当初から関わる総社市議会副議長の赤沢康宏さんが明かす。背景には、健康寿命を伸ばすことで少しでも医療・介護費を抑え、村民自らの行動を促すことで行政コストを少なくしたいという財政基盤の弱い村ならではの事情もあった。

 SCの運営はまさに、住民主体の手作りで行われている。中に柱がない特徴的な八角形の「夢てらす」は、中心メンバーが酒を酌み交わしながら「マッチ棒を貼り合わせて考えた」(赤沢さん)といい、部屋と部屋の見通しがよく、中心にみんなが集まれるホールがある。SCで使うグラウンドの芝張りもボランティアが行った。 最近もこんなことがあった。夏場の豪雨で高梁川が増水し、SCが利用する河川敷の野球場の内野の土が外野の芝生に流れ込んだ。それを復旧させたのもまた、住民の力だった。2日間で延べ約200人のボランティアがそれぞれスコップやじょれんを手に集まった。サッカー選手だろうがバスケットボール選手だろうが、大人も子どもも関係なく。

 「ソーシャル・キャピタル」(社会的資本)という言葉がある。

 「フィジカル・キャピタル」(物的資本)、「ヒューマン・キャピタル」(人的資本)と並ぶ概念で、社会のつながりや規範意識、住民同士の信頼を通じて共通の目的に向かって協調行動を導くもの――とされる。

 かつて内閣府は、地域のボランティア行動者率の社会への影響を調査した。2002年と少し古いデータだが紹介したい。それによると、ボランティア行動者率が高い地域では、刑法犯認知件数(人口千人当たり)や完全失業者率が減り、合計特殊出生率が上がるという結果が出た。平たく言えば、治安が良く、住民所得は高くなり、子どもも増えるということになる。当然、それらに関わる行政コストも低くなると言えるだろう。

 調査はこう結論づけている。「ボランティア活動の活発化は、地域社会における人的ネットワークとその社会的な連携力を豊かにする効果をもち、すなわちソーシャル・キャピタルの蓄積に寄与し、それが地域社会の安心・安全・安定などの各面に好ましい成果をもたらしている」「ソーシャル・キャピタルと市民活動との間に相互作用が存在するならば、その好循環を引き出すことが、暮らしやすい豊かな社会の実現にとって望ましいこととなる」

 では、ソーシャル・キャピタルを蓄積する好循環を生み出すのにはどうすればいいか。

 スポーツはそのエンジンになるかもしれない。

 スポーツイベントでボランティア活動に参加した人の8割以上が、災害復旧や介護などそれ以外のボランティア活動に参加していたというデータが、笹川スポーツ財団の調査にはある。スポーツは元来「楽しむ」もので、参加(観戦も含めて)することへの心理的なハードルは本来、高くはないはずだ。しかも、老若男女を問わず、同じルールの下コミュニケーションを深められる利点がある。スポーツを通じて支え、支えられる中でソーシャル・キャピタルを醸成できるのであれば、これは「コモンズ」と言えるのではないか。

 SCの三宅さんには最近、気懸かりなことがあるという。コロナ禍に見舞われた2020年度の会員数を見てのことだ。会員のうち子どもは516人と前年度比23人増えたものの、大人は394人と54人も減った。大人の人数は設立3年目の2005年以来の低水準だった。三宅さんによると、大人の減少は高齢化だけではなく、コロナ感染を避けようとお年寄りの会員が脱退したことが背景にあるという。逆に子どもたちは感染予防のための臨時休校やイベント中止でストレスを発散する場を求めているのではないか、と推測する。

 「村時代に現役だったお年寄りはボランティア意識が強い。そういう人たちが若い人と交わる中で、次に地域を支える人材を育てる。ここはそういう場でもあるんです」 地域スポーツクラブを核にしたボランティア精神の世代間継承。その断絶を懸念する三宅さんの声は、将来のソーシャル・キャピタルが失われてしまうことへの警鐘でもある。