定点観測

アウトドア・スポーツの未来とは?

FORESTRAIL SHINJO-HIRUZENが主催しているForestrail Runners Online Meetingの第2回「山、森、川 ― トレイルから考える流域の自然保護」に参加した.

自然の中を走り抜けるトレイルラン.
ランナーにとっては心地良い体験だが,踏み固められる土や下草などの自然にとってはダメージがあるスポーツだ.
例えば,レース後には土壌の硬度(硬さ)が上がる.その部分は雨水の浸潤が妨げられ,表土とともにふもとに直接流れてしまう.大雨災害にもつながるダメージだ.

トレイルランなどのアウトドア・アクティビティの現場には,自然環境とアクティビティの間の葛藤がある.自由に(好き勝手に)活動すると自然環境に大きなネガティブ・インパクトを与える.自然環境保護を目指せば,活動の自由度を制限する必要が出てくる.

この自然とアウトドア・アクティビティの間の葛藤は,アウトドア・アクティビティの競技化(スポーツ化)とビジネス化に伴って生まれてきたものではないかと思う.

アクティビティがスポーツ化することで,どんどんフィールドである自然から離れていく.東京オリンピックのマウンテンバイクやカヌーのスラローム種目は,いずれも元々アウトドア・アクティビティだが,人口的にコース整備されたのはひとつの例だ.アウトドア・アクティビティがアウトドア・スポーツになると,「アウトドア」という言葉は,自然環境から屋外程度の意味しか持たなくなるのかもしれない.
そして,アウトドア・アクティビティのビジネス化は,大会主催者と参加者の乖離を生んでいる.大会主催者は自然環境へのインパクトを最小限にすることが求められ,その責任を果たさなければならなくなる.一方,参加者は参加費を払った「自然消費者」になり,大会主催者ほど自然環境へのインパクトを気にかけなくなる.

こうしたアウトドア・アクティビティの拡大は,自然と アウトドア・アクティビティとの間の葛藤をより厳しいものにしていく.「自然環境保護」(自然のために自然を守る)の立場に立てば,究極的にはトレイルランはしない方がいい,ということになる.

さらに,自然と アウトドア・アクティビティとの葛藤は,自然と人間との関係に関わる人間観にゆらぎをもたらす.人間は,自然を操作・利用して生きていくのか?それとも,自然と共生して生きていくのか?というゆらぎだ.

おそらく,前者の人間観を採用するとアウトドア・アクティビティは自然破壊の原因にしかならないだろう.そして,いずれアウトドア・アクティビティもできなくなる.後者の人間観に立つしかない.
自然とアウトドア・アクティビティとの共生を目指す立場は,「自然環境保全」(人間のために自然を守る)の立場と親和的だ.この立場からは,自然環境の持続性を維持しながら,保全主体の地域にとって効果的に利活用できるような戦略を立てることができる,と言える.自然と人間の二律背反から脱却し,表裏一体のものとして考えよう,ということだ.

この先,トレイルランは「自然を活用したスポーツ」ではなく,「自然と共生するアクティビティ」に向かう必要があるのではないだろうか.
そのためには,自然共生ランナーの育成,自然からのメッセージを伝える大会企画,そして,大会開催から得られる価値(収益や自然環境への理解など)を自然に還していく大会運営などが構想されなければならないだろう.
つまり,トレイルランの価値の創出と循環(つまりビジネスモデル)の中には,大会主催者や地元住民・行政,協賛企業だけでなく,ランナーと自然環境も入れなければならない,ということだ.

もしかすると,アウトドア・スポーツの自然共生化が描く未来は,スポーツだけでなく,人間の生き方をも変える可能性を持っているかもしれない.

髙岡 敦史

WRITTEN BY

髙岡 敦史
スポーツまちづくり会社・合同会社Sports Drive 社長 岡山大学大学院教育学研究科 准教授、博士(体育科学) スポーツ経営学を専門とする研究者であり、スポーツまちづくりの現場に多く参画している。近著に『スポーツまちづくりの教科書』(2019年、青弓社)。