定点観測

未来構想メモ①:脱成長と心・身体の幸福追求のスポーツまちづくり?

およそ1年半前,SPORTS DRIVEの創業に際して「今,何をすべきか」と思考を巡らしていたことが研究室の壁に貼ってある.スポーツまちづくりの未来構想に関するメモ書きだ.

スポーツも,まちづくりも,未来の人間の生き方や社会のあり方をベースにしないとその未来は見えてこないと思っているのだが,現時点では「たぶん,こっちに向かうはず」という方向性しか見出せていない.
それでも,バックキャスティング思考で考えていけば,未来志向のスポーツまちづくりが編み出せると信じている.数回に分けて,「たぶん,こっちに向かうはず」を残しておきたい.「たぶん」なので「?」を残しておく.

初回は「脱成長と心・身体の幸福追求のスポーツまちづくり」.

SDGsをはじめ,持続可能性があらゆる社会領域で問われるようになっている.
そこでは,自然環境負荷や経済格差とリンクするあらゆる格差の低減,世代間や世代内の公平性が求められている.
その背景には,差別化や排除の論理を生んできた競争・資本主義,右肩上がりの成長・拡大主義から脱却しようとする志向がある.

先進国に暮らすわたしたちは,大量生産・大量消費を前提にした規模の経済の中に生きている.
人も,物も,お金も,情報も,たくさんある方が豊かだと思っている.
事業も生産も規模が大きいほどコストが下がり,価格が下がり,大量消費が可能になる,と思っている.
発展や成長とは,「たくさんになること(量的拡大)」だ.

しかし,そうした志向が自然環境にネガティブな負荷をかけてきた.
いまや,人類は惑星としての地球を変えてしまうほどのエネルギーを生み,消費し,廃棄してしまっていて,結果的に人類の生きづらい地球環境を生んでしまっている.1995年から毎回開催されている国連気候変動枠組条約締約国会議 (COP) などは,まさにそうした状況の改善に向けて議論しているところだ.

地球環境保護というテーマは,広く共有可能な美しい話だが,わたしたちの「豊かさ観」のひっくり返し(パラダイムシフト)が求められる.
「たくさんになること」が発展や成長でないなら,どうなることが発展や成長だと考えればいいのか?
量的な豊かさが幸福でないなら,どうなることが幸福だと考えればいいのか?

スポーツも量的発展を志向してきた.
できるだけ多くの人がスポーツする方がいい,数多く勝利するほどすごい,収益の大きなスポーツビジネスが正しい.そう考えられている.

量的な豊かさから脱却した暮らしやスポーツとは,どのようなものだろう?
それはたぶん,右肩上がりの成長を前提にしない,心と身体の幸福を追求するというものではないだろうか.
たくさんじゃなくていい.心が満たされ,身体的に心地良いという幸福.そういう暮らしやスポーツが実現されるスポーツまちづくりに向かっていくのではないかと思う.

髙岡 敦史

WRITTEN BY

髙岡 敦史
スポーツまちづくり会社・合同会社Sports Drive 社長 岡山大学大学院教育学研究科 准教授、博士(体育科学) スポーツ経営学を専門とする研究者であり、スポーツまちづくりの現場に多く参画している。近著に『スポーツまちづくりの教科書』(2019年、青弓社)。