定点観測

感染は人のせいにあらず

新型コロナウィルス感染症の再拡大に伴って,プロ・スポーツクラブの選手やスタッフから新型コロナウィルス感染症の陽性者が出て,リーグの規定によりホームゲームが中止になる事態が,またたくさん起こるだろう.

その都度,「選手〇人,スタッフ〇人の感染が判明し・・・」と報道される.
ホームゲームの中止に伴って影響を受ける人たちは多い.観戦に行く予定だった人たちの残念な気持ちや,ホームゲームの準備に奔走していたたくさんの人たちの無念な気持ちはさぞ大きいことだろう.

それは確かにそうなのだが,フォーカスが感染した選手やスタッフに向けられることがあるとしたら残念だ.「選手やスタッフは何をしていたのか?」という視線が生まれてしまうとしたら,それは,選手やスタッフのウィルス感染がクラブ・ブランディングを直接傷つけてしまうリスクがある,ということだ.

しかし,どこかおかしい話だ.
市中感染にまで拡散した状況下で感染することは,どれだけ気を付けていてもほとんど防ぎようがないだろう.そういう意味で,ウィルス感染は個人の責めに帰すものではない.仕方のないことだ.何とか,感染した選手やスタッフ,クラブに対するネガティブな視線を無くすことはできないだろうか.

個人の感染も,感染によって選手登録できなくなることも,選手登録者数がエントリー要件に満たなくなることも,すべては不可抗力による感染が原因だ.しかし,論理的には,ホームゲームの中止の直接原因は一方のチームのエントリーができなくなったことになる.ここに選手・スタッフ,クラブの責任が問われる事態が生じている.
選手登録やエントリーの可否以前に,関係者が感染したら感染拡大防止のための意思決定が発動する,ということでいいのではないだろうか.
つまり,ホームゲーム中止の決定理由を,選手やスタッフが感染したことや,登録選手数がエントリー要件に満たなくなったと発表するのではなく,これ以上の感染拡大を防ぐためだと発表する,ということだ.

このことは,いわゆる「コロナ差別」一般についても言えるだろう.
人は未知のものを恐れ,その恐れからくる不利益を誰かのせいにしたいと思いがちだ.
コロナ禍がいつ終息するのか誰にも分からないが,感染拡大を人間や社会の問題にせず,自然現象だと捉える方がいいのではないかと思う.

髙岡 敦史

WRITTEN BY

髙岡 敦史
スポーツまちづくり会社・合同会社Sports Drive 社長 岡山大学大学院教育学研究科 准教授、博士(体育科学) スポーツ経営学を専門とする研究者であり、スポーツまちづくりの現場に多く参画している。近著に『スポーツまちづくりの教科書』(2019年、青弓社)。