定点観測

矜持

同調圧力というのは,得てして「良いことだ」という顔で迫ってくる.
「人の命は大切だ」
全くその通りだ.
「健康であること=病気にかかっていないことはいいことだ」
そうかもしれない.
「他人に健康被害をもたらすことはけしからん」
そうだろう.

しかし,その影で別の大きなものを失っている.
生業ができなくなっている事業者,他者と交流し対話することを奪われた市民,協同的に学ぶ機会を奪われた子どもたちや学生たち.

同調圧力を含んだ空気は,日頃お世話になっている目上の人の忠告や指導という形で顕在化して降りてくる.
私のためを思って言ってくださる言葉だから,とても有難い.感謝している.
だからこそ跳ね返しようのないパワーを持ってくる.
同調圧力が広く浸透した社会では,普通の市民一人ひとりが「良いことしてる」と思っているし,そこから生まれる行為は決して悪意を持っていないからこそ,同調圧力のエネルギーがますます大きくなる.

きっと,太平洋戦争に突入した当初の日本はこういう空気だったんだろうな,と感じる.
わが子を戦地に送り出す親は「生きて帰ってきてほしい」と願ったはずだが,涙を見せずに「お国のために…」と言わなければいけなかった.社会の「良いことだ」とされる空気に反することを言うことがタブーだった.

あえて空気に逆らうようなことも言わなければいけないのが,左派を自認する社会科学者の矜持だと思う.

「お前が言う必要はない」と私のためを思って叱って下さる方もいる.
大事なことだから繰り返すが,感謝に堪えない.
しかし,同調圧力に屈して口をつぐんでしまうと,ほとぼりが冷めた時,社会科学者として何を言っても信じてもらえなくなる気がする.

失っている色々なことと,これから失われるかもしれない人命を天秤にかけることはできない.どちらも固有の価値があるから,価値の大小を比較することはできない.

人命を犠牲にしてわたしたちが受け入れてきてしまったことは他にもたくさんある.高度経済成長時代の働き方,米軍基地の受け入れ,画一化してノイズを排除してきた学校教育等々だ.問題が顕在化するたびに,わたしたちは考えてきたはずだ.今,わたしたちは考えることができているだろうか.

「人の命は地球より重たい」という一見正しそうな倫理観を盲信せず,あるべき社会づくりに向けて,守るべきものは何か,失わざるを得ないものは何か,をわたしたち一人ひとりが冷静かつ論理的に考える必要に晒されている.

すべてを手中に収めることはできない.
地球というひとつの惑星に生きるわたしたちがこの先も生き続けるためには,何かを失うことを受け入れなければいけない.もしくは,幸福のカタチを考え直さなければいけない.

また怒られるかもしれない.
クレームが飛んでくるかもしれない.それによって迷惑をかける方がいるかもしれない.
いずれも私の立場を慮ってのことで,感謝しなければいけない.
しかし,それでも,守らなければいけない矜持があると覚悟し始めている.

髙岡 敦史

WRITTEN BY

髙岡 敦史
スポーツまちづくり会社・合同会社Sports Drive 社長 岡山大学大学院教育学研究科 准教授、博士(体育科学) スポーツ経営学を専門とする研究者であり、スポーツまちづくりの現場に多く参画している。近著に『スポーツまちづくりの教科書』(2019年、青弓社)。