定点観測

北京パラリンピックとウクライナ侵攻:制度論では答えが出ない

3月4日,北京冬季パラリンピックへのロシア(RPC)とベラルーシ代表選手の参加が拒否された.国際パラリンピック委員会(IPC)がロシアによるウクライナ侵攻に対する反意を示した形だ.
しかし,わずか一日前には中立的な立場の個人としてのみ出場を認めると発表したばかりだった.

この出来事の評価は,「スポーツは社会の中でどう存在しているか」ということの考え方で大きく分かれると思う.

ひとつの考え方は,スポーツは政治や経済とは別次元に存在する文化であるというものであり,そこからは,スポーツの場は国家間の対立を超越すべきで,選手の参加は認められるべきという評価が下される.
もうひとつの考え方は,スポーツは政治や経済と影響を与え合うひとつの社会的営為の領域であるというものであり,そこからは,国際的な大規模スポーツイベントだからこそ,国際的な反戦の意思を表明すべきで,選手の参加は認められるべきではないという評価が下される.

このふたつの考え方はどちらもあり得るように思えるが,オリンピック憲章に基づけば,答えは前者になる.
「オリンピズムの根本原則」の第5条では,

「オリンピック・ムーブメントにおけるスポーツ団体は,スポーツが社会の枠組みの中で営まれることを理解し,政治的に中立でなければならない」

『オリンピック憲章』

とオリンピックの政治的中立を謳っている.第6条では

「このオリンピック憲章の定める権利及び自由は人種,肌の色,性別,性的指向,言語,宗教,政治的またはその他の意見,国あるいは社会的な出身,財産,出自やその他の身分などの理由による,いかなる種類の差別も受けることなく,確実に享受されなければならない」

『オリンピック憲章』

とされていて,例えロシア人やベラルーシ人の選手がいかなる政治的意見を持っていたとしても,競い合う権利と自由は保障されるべきとされている.
そして,オリンピック競技大会に関する規定においては,

「オリンピック競技大会は,個人種目または団体種目での選手間の競争であり,国家間の競争ではない」

『オリンピック憲章』

と明記されている.そもそも,出場選手はロシアもベラルーシもウクライナもないのだ.
パラリンピックもオリンピック憲章が適用されると考えられるから,今回のロシア(ROC)とベラルーシ代表選手の参加拒否は,オリンピック憲章違反と言えるだろう.IPC・パーソンズ会長も3月3日の個人参加容認を発表した会見で「RPCやベラルーシの選手を出場させないということは,IPCの憲章や規則に違反することになり、それはできない」(NHK報道)と述べている.

しかし,このことで「前者の考え方で決まりだ」とはならない.後者の考え方にも制度的な論拠が用意できそうだ.
国連憲章前文には,

「寛容を実行し、且つ、善良な隣人として互に平和に生活し,国際の平和及び安全を維持するためにわれらの力を合わせ,共同の利益の場合を除く外は武力を用いないことを原則の受諾と方法の設定によって確保し」

『国連憲章』

とある.もしオリンピック憲章が国連憲章の枠組みの内側にあるものなら,ロシアによる侵攻は国連憲章違反であり,選手の参加拒否は,国連安保理における国連総会緊急会合におけるロシアに対する非難決議と歩調を合わせる国際的な主張として妥当だと考えることができる.
これまで国連は,IOCと連携してオリンピック停戦の伝統を守り,推進してきた経緯がある.国際的な対話と連携の枠組みである国連と,国際的なスポーツ・イベントに世界各地のアスリートたちを結集させることで平和の維持や相互理解,親善といった目標の推進を目指すオリンピック・パラリンピックは親和的で連動するものだ.そういう意味で,オリンピック・パラリンピックは(オリンピック憲章の規定に関わらず)国際協調の政治経済的な枠組みの中に存在してしまっていると言えるかもしれない.

いやはや,制度的なアプローチでは答えは出なさそうだ.

ならば,オリンピック・パラリンピックをはじめとした国際的なスポーツ競技大会とそこで繰り広げられる人間の運動能力の競い合いが,スポーツを取り巻く国際社会の情勢から隔離可能な固有な存在かどうか,をスポーツの根本に立ち返って考えなければいけないだろう.
(次回に続く)

髙岡 敦史

WRITTEN BY

髙岡 敦史
スポーツまちづくり会社・合同会社Sports Drive 社長 岡山大学大学院教育学研究科 准教授、博士(体育科学) スポーツ経営学を専門とする研究者であり、スポーツまちづくりの現場に多く参画している。近著に『スポーツまちづくりの教科書』(2019年、青弓社)。