定点観測

「ゾーンに入る」とまちづくり

PCに向かって仕事する時は,ノイズキャンセリング機能の高いヘッドフォンで,スマホから音楽を流したり,ディスプレイの片隅で動画や映画を流したりしている.(今はYouTubeでゲーム実況動画を流している)

コロナ禍で人の出入りの少ない大学の研究室や会社の事務所は,静かすぎてソワソワする.よく仕事場として利用するスターバックスでは,店内BGMが予期しない選曲だと聴き入ってしまうし,近くの席から興味深い雑談が聴こえてくるとつい耳を傾けてしまうからだ.
きっと,集中するために入ってくる音をちょうどいい量と質にコントロールしたいんだと思う.集中してしまえば音楽も動画も聴こえなくなってしまうのだが,一秒でも早く集中するためのスイッチみたいなものが必要なのだろう.

スポーツでは「ゾーンに入る」という表現がよく使われる.緊張とリラックスのバランスが取れた状態で五感を超える認識ができるようになり,例えば「ボールが止まって見える」とか「ボールの軌道が白い線で見える」と説明される超常的な体験のことだ.

心理学的には意識と無意識が統合されることで極めて強い選択的注意が成立することが確認されている.また,脳科学的には理性(論理的思考)を司る前頭葉や方向を定める脳領野の働きが抑えられて動物的な本能に関わる脳領野が働いているのではないかと推測されている.
志岐(2012)の研究によれば,ゾーンに入る過程は,①自己中心の認識から,②対象中心の認識を経て,③最終的に自(私)と他(私以外)の区別がなくなりあらゆる他の存在と一体化するという段階を経るという.

トップアスリートのそれとは比べるべくもないが,仕事に集中している感覚は,頭の中にある様々な知識やこれから書こうとしていることすべてに同時にアクセスしている感じだ.頭の中を駆け巡る思考とタイピングする指の動き,ディスプレイ上の文字の表示が一体化しているような感覚もある.


こうした感覚は,博士論文の提出に追われていた時期に獲得した.超常的な体験だったとはっきり覚えている.それまでの積み重ね(トレーニング)もあっただろうが,提出締切からくる心理的圧迫がそういう体験をもたらしたのだと思う.まるで『ドラゴンボール』のサイヤ人たちがスーパーサイヤ人に変身するみたいに,あるいは『進撃の巨人』の主人公が指を噛むことで巨人化するみたいに.
サイヤ人や巨人化できる人類と同じように,能力の獲得以降は条件さえ整えばゾーンに入ることができるようになった.私にとっては,そのきっかけが音楽を聴くということなのだろう.

集中したり没頭したりする経験を数多く積み重ねることは,自己中心な自分を,他者中心で利他的な自分に拡張し,さらにはすべてをつなげて俯瞰できる自分を育てるのかもしれない.誰でもスーパーサイヤ人や巨人になれるはず,もとい,ゾーンに入ることができるはずだ.

そんな力をもった人が増えたら,個人的な主張をぶつけるだけの争いは起こらないだろうし,誰もが様々な条件を踏まえてより良い未来を考えることができるようになるんじゃないかと思う.「まちづくりしたいなら,好きなことに没頭する経験をたくさんしよう」ということかもしれない.(めちゃくちゃ飛躍した結論…w)

【参考】
・志岐幸子・福林徹(2001)トップアスリートに起きるいわゆる不思議な体験-ベストパフォーマンス遂行時の状況から-.感性工学,1(2):37-46
・志岐幸子(2012)文化的アプローチによる「深い感性」に関する一見解-ゾーン体験の視点から-.人間健康学研究4:51-59
・志岐幸子(2013)トップパフォーマー達の「ゾーン体験」に見る「感性」の再考.人工知能学会誌28(6):862-871

髙岡 敦史

WRITTEN BY

髙岡 敦史
スポーツまちづくり会社・合同会社Sports Drive 社長 岡山大学大学院教育学研究科 准教授、博士(体育科学) スポーツ経営学を専門とする研究者であり、スポーツまちづくりの現場に多く参画している。近著に『スポーツまちづくりの教科書』(2019年、青弓社)。