定点観測

観戦下手の観戦論③ まちのあり方を表現し合う応援とプレー

前回,市民はクラブのおかげで地域への価値意識と貢献意欲を高められ,地域貢献のひとつのスタイルとして選手やチームを応援する,という仮説を提案した.
そして,地域貢献としての応援は選手強化やチームの活性化,ひいては試合の流れを決めるのではないか,と書いた.今回は,この仮説について考えていきたい.

人は(よほどの天邪鬼でなければ)応援されると頑張る気力が湧いてくるものだ.ここで重要になるのは,「誰に,どのように応援されるか」だ.

選手にとって,ホームゲーム会場(コロナ禍ではオンライン観戦のネット空間も含む)で応援してくれる人たちは,次のようなタイプに分けられるだろう.
 ①自分のことをよく知らない「知らない人(ライトファン)」
 ②自分のことを「選手」として応援してくれる「時々会場でみる人(リピーター)」
 ③自分のことを「友達」として応援してくれる「知人」
 ④自分のことを「家族」として応援してくれる「親族」
①から順に,選手との共感性・共振性が強くなる.言い換えれば,深い関係だ.深い関係の人からの応援ほど,頑張る力を引き出す力が大きくなると思われる.

しかし,②リピーターと③知人の間には,大きな溝がある.
選手が来場している人たちと築いている関係は,「応援してくれると頑張れる」という財産(関係資本)だ.ファンとの関係が深まり,応援を受けて頑張れる気持ちが大きくなるほど,その選手は資本をたくさん持っていることになる.
これを「ブランド・エクイティ」(ブランドがもつ資本)の考え方で捉え直してみたら,②と③の溝を埋める何かが見えてくるような気がする.
ケビン・レーン・ケラー(2015)によると,ブランドには4段階のレベルがあり,その段階を上がるルートは理性と感性の2つがあるという.
ブランドを選手に置き換えて考えてみる.
ブランド・エクイティのレベル1は「その選手(ブランド)を知っている」という段階.
レベル2は,「その選手の情報を知っている」という理性的な意味づけと「その選手のイメージを持っている」という感性的な意味づけをする段階だ.
さらにレベル3になると,「その選手のプレーを評価できる」という理性的な評価と「その選手の素晴らしさを評価できる」という感性的な評価ができるようになる.
そして最高ランク,レベル4になると,「その選手に共感・同調できる」という状態に達する.

選手からみた来場者の内,②「時々会場でみる人(リピーター)」は,レベル2を中心にしてレベル3にかけて分布しているだろう.ファン歴の長い人によってはレベル4に到達している人もいるかもしれない.
③「知人」は,レベル3からレベル4に分布しているはずだ.④「家族」になればレベル4確定だろう.

そのように考えると,レベル2の上位からレベル3が溝を埋める層になりそうだ.一定量の情報やイメージを持ち合わせていて,プレーや素晴らしさを評価できる,リピーターと知人の間くらいの人たち.

それは,自分のことを「このまちでスポーツ選手として頑張っている若者」として応援してくれる「市民」ではないだろうか.

市民は,選手と同じまちに暮らしているという実感を持つ人だ.生活圏としてのまちを通して選手とつながっている.同じまちに暮らしているということからくる「共通感覚(コモン・センス)」を持っている.だから,選手やチームの出来事は,まちの出来事のように受け止める.選手やチームへの応援は,まちを大切に思うことのひとつの表現だ.

例えば,選手の頑張りや素晴らしいプレーをまちの誇りにしてくれる.ケガや惜しい敗戦といった選手にとって悲しい出来事をまちの中で起こった悲しい出来事として悲しんでくれる.このような態度を私は「市民的応援」と呼んでいる.
市民的応援は,個々バラバラの消費者による一方向的な応援とは全く違うものだ.そして,それは市民の声援や”念”と,選手のプレーとの間の「対話」を引き起こす.対話する内容は「まちのあり方」ではないだろうか.

選手は,市民的応援と対話を通して,自分のアスリートキャリアのためにプレーするということを超えて,市民がもつべき力強さや賢さ,粘り強さを表現するようなプレーに到達することだろう.そしてチームは個人事業主としてのアスリートの集まりを超えて,まちがもつべき力を表現しようとする次元に到達することだろう.

そんな超越的なプレーは,「まちはかくあるべし!」ということの表現だ.
選手たちのプレーが市民にとって相応しいものなら共感と賞賛が送られる.もし「そのプレーはまちにとって相応しくない」と評価されたら,ブーイングが起こる.
そんなスタジアムやアリーナは,単なるスポーツ観戦空間ではなく,まちの未来を表現し合う公共の対話空間(アゴラ)だ.

そんな(ブランド・エクイティレベル3の)市民と選手を増やすためには,選手が
まちに出て,「(選手である)わたしはここに暮らしています」ということを表現し,市民と交流する必要があるだろう.クラブによる地域貢献活動はその代表例だ.まちなかの飲食店に並ぶ選手のサイン色紙,選手行きつけのお店に飾ってある記念碑的なユニホーム,それらの存在は非言語の交流のメディアになる.
まぁ,このことは観戦論を超えるクラブ・マネジメントの話なので,いつかまた.

髙岡 敦史

WRITTEN BY

髙岡 敦史
スポーツまちづくり会社・合同会社Sports Drive 社長 岡山大学大学院教育学研究科 准教授、博士(体育科学) スポーツ経営学を専門とする研究者であり、スポーツまちづくりの現場に多く参画している。近著に『スポーツまちづくりの教科書』(2019年、青弓社)。