定点観測

研究とまち

研究者とは,文字通り,科学研究をする人だ.
研究成果は学会発表や学術論文として公開されている.
科学は無数の分科に細分化されていて,例えば,生物に関する学会には遺伝子や細胞のようなごくごく小さい部分の研究学会もあれば,昆虫全般を対象にした学会もあるし,カブトムシのような甲虫だけの学会もあれば,蜘蛛だけを対象にした学会まであって,そもそも生物を分類することを研究する学会まである.

一方,最新の「令和3年度 科学技術・イノベーション白書」(文部科学省)では,人文・社会科学(一般的に「文系」と言われる学問)と自然科学(理系の学問)が連携して「総合知」を生み出すことが必要だと指摘されていて,タコツボ化した科学研究の連携・融合が要請されているところだ.

研究成果は,企業の研究開発や政策立案のような,私たちの生活の「川上」で活用されることで社会に実装されている.コロナウィルスの変異株解析も,感染のメカニズムの理解も,感染予防策の立案も,ウィルス学や遺伝学,公衆衛生学,行動経済学などの研究成果がベースになっている.こうして科学は私たちの生活や社会に大きな影響を与えているのだが,一般の人が学術論文を目にすることはほとんどないだろう.

例えば,防災やまちづくり,政治と民主主義,子育てや福祉,教育,経営などに関わる研究成果は,私たちの生活に近いところ(川下)で活用される必要があるのだが,「学術論文を読んでください」ということでは普及しない.
そこで必要になる仕事が,研究成果を分かりやすく表現して普及させる「アウトリーチ」だ.研究者や学会が市民や子ども向けの公開講座を開いたり,読みやすい書籍を刊行したりするのがそれだ.

しかし,研究者が市民に対して一方的に知識を提供しようとしたところで,市民の側にその知識に必要感がなければ,公開講座に人は集まらないし,教養のためのものにしかならない.
つまり,研究者はアウトリーチ活動をする以前に,その学問や研究そのものの生活や社会にとっての意義と研究成果の重要性を理解してもらうことが必要だということだ.それは,「この学問と研究成果が生活や社会をどう変える可能性があるのか?」ということへの理解に他ならない.

この理解を育むようなコミュニケーションが成立するためには,研究者が生活や社会をより良くしたいと願って研究していなければいけないし,市民もより良い未来を求めていることが前提になる.より良い未来像が両者で同一のものである必要はないが,少なくとも生活や社会の現状に問題意識を持っている必要があるだろう.研究者と市民が立場を超えて問題意識を交換するところから始められるといいと思う.そういうことが自由でスムーズにできるようになったら,研究の生産性はもっと高まるだろうし,研究者と研究成果の存在価値はもっと高まるだろう.

髙岡 敦史

WRITTEN BY

髙岡 敦史
スポーツまちづくり会社・合同会社Sports Drive 社長 岡山大学大学院教育学研究科 准教授、博士(体育科学) スポーツ経営学を専門とする研究者であり、スポーツまちづくりの現場に多く参画している。近著に『スポーツまちづくりの教科書』(2019年、青弓社)。