定点観測

ビールとウィルスとまち

ビールが好きだ.
特に,仕事でバタバタ動き回って水分補給もままならなかった一日の夜の一杯目のビールは,ひとくち目で身体と心の疲れが後方100mくらいに吹っ飛び,二口目で幸福度が急上昇する.3杯目を飲み干す頃には,もう今日を忘れて未来を見ている.

岡山市内の飲食店は,7月1日から酒類販売自粛要請が解除された.
その当日,まさに通常営業を再開したばかりのお店で飲んだ.
そのひとくち目のビールの美味しさと言ったら感動的ですらあった.
人出も来店客数も元通りとはいかないが,店員さんは生き生きしているし,店主さんはホッとした表情をしていて,店内には高揚感と安堵感が混ざったような,経験したことのない空気が漂っていた.そこで出された一杯目のビールの味は忘れないだろう.

コロナ禍の捉え方は様々だ.
緊急事態宣言が解除されたからといって,嬉々として飲みに出るのは感染拡大防止の観点から相応しくないことだと言われるだろう.
それを受け入れつつも,このまちでお酒を飲むことも諦めたくない.

まちは,そこに暮らす多様な人々それぞれの経験の束だ.多様な意味の集積体と言ってもいい.
ウィルスがそこら中に飛び交っていると感じる人にとって,今のまちは危険な空間だ.一方で,キンキンに冷えたビールと馴染みのお店で店主と話すことが好きな人にとっての今のまちは自由と解放が溢れる空間だ.そして飲食店で働く人たちにとって今のまちは,時間がやっと動き出した期待の空間で,それらはすべて正しい.まちは全く異質な意味が重なって存在する空間なのだ.

コロナ禍は分断を助長している.感染拡大初期は感染した人が差別された.今後はワクチン接種をしていない人への差別が起こるかもしれない.その差別は,「まちはかくあるべし」という個人的な意味づけに反する人をまちから排除したいと思うところに生まれるのだと思う.

誰も誰かを排除することはできない.
まちは多様な人が暮らすことで,生産も消費も,文化的活動も,政治も,宗教も幅が拡がって,新しい考え方や価値が生まれやすくなる.クリエイティブ都市論の考え方だ.

隣に座る人にとってのまちの意味は,私のそれとは違うということを受け入れることができたら,まちは多様性から創造性を備えるようになるはずだ.
感染拡大防止策がまちに分断を生み,まちの創造性を犠牲にするものになっているとしたら,コロナ被害はまちの衰退という形で,一定のタイムラグの後に現れるかもしれない.

落ち着いたら,ビールでも飲みながらコロナ禍とは何だったのか,何を失い何を得たのかを語り合い,分断を解消したいものだ.

髙岡 敦史

WRITTEN BY

髙岡 敦史
スポーツまちづくり会社・合同会社Sports Drive 社長 岡山大学大学院教育学研究科 准教授、博士(体育科学) スポーツ経営学を専門とする研究者であり、スポーツまちづくりの現場に多く参画している。近著に『スポーツまちづくりの教科書』(2019年、青弓社)。