定点観測

コロナ禍だからこそ,分かり合いたい

コロナ禍で増えたオンライン会議は,その便利さから,感染拡大が落ち着いている時期でも,まるでずっと前からデフォルト設定だったかのように利用している.

それでも,地方と東京との間で感染拡大状況に差がある時期には,オンライン会議でも超えられない壁を感じることがしばしばあった.
それは,互いの日常の風景がまったく想像できない,ということだ.

あちらの学生の登校状況,授業や部活動の風景,ワークスタイル,飲みに行けるのか行けないのか,すべての状況が違いすぎて,今,相手がどんな心持ちなのかが想像できない.

でも,そんな時,はっと気付く.
「いつもは,正しく想像できていたのか?」と.

日本のどこにいても,およそこちらと同じような風景がそこにあるだろう,と勝手に想像して,相手の心持ちは自分自身と大して変わらないはずだ,と勝手に判定していたのではないだろうか.想像できないことはものすごく大量にあるのに.

人は,分かり合いたい生き物だ.共感性が遺伝することまで分かりつつある
共通理解できている方があらゆる物事がスムーズに運ぶから,詳しく確認はしないけれど,とりあえずお互いに分かり合っているということにしておきたい.

しかし,分かり合うことなんて,できない.
お互いに,生まれてから今までの相手の経験をすべて知ることはできないし,今この瞬間相手が何をどう感じ,どう考えているかは,その人の自由で,こちらには操作できないから,分かりようがない.

ひとまず,人は分かり合えないというところからスタートするから,分かろうとすることができる.
分かろうとするには,聞くしかない.

「今,そちらはどんな状況?対面授業できてんの?」

大学教員同士のオンライン会議定型句だが,お互い分かり合おうとしているんだな,と思えば,「(いつもその話だなw)」とはならないものだ.

髙岡 敦史

WRITTEN BY

髙岡 敦史
スポーツまちづくり会社・合同会社Sports Drive 社長 岡山大学大学院教育学研究科 准教授、博士(体育科学) スポーツ経営学を専門とする研究者であり、スポーツまちづくりの現場に多く参画している。近著に『スポーツまちづくりの教科書』(2019年、青弓社)。