定点観測

子どもたちのワクワクを育てるまち

ゲリラ豪雨がすごい.
各地の激しい雨の様子が連日報道されていて,昨日,岡山市内でも雷を伴う豪雨があった.
男性あるあるだろうが,雷は大人になってもテンションが上がる.
何か,特別な一日になりそうな予感がする.
思い起こせば,小学生の頃(およそ30数年前)は大雨で川が溢れそうになっていても学校はあったし,特別に集団下校になっていたけれど,増水した川のそばを通るいつものルートで下校していた.今考えると結構危険だったけれど,それでも,非日常のワクワクがそこにはあった.
各地で被害に遭われた方の心中を察すると不適切だが,今でもその頃のワクワクは豪雨のたびに蘇る.川に様子を見に行ってしまうお年寄りの気持ちは分からなくもない.(そこをグッと我慢するのが大人だろうけれど)

子どもの頃のワクワクした経験はとても大切で,大人になってからの「楽しさセンサー」の幅を決めるのではないかと思う.
地域のスポーツクラブや部活動でのスポーツ活動や大会出場のワクワクドキドキした経験は,その後のスポーツライフの豊かさの基盤になるだろう.過負荷なトレーニングを通して少しずつ上手くなっていくことにワクワクした経験が豊かな人は練習好きになるし,試合でドキドキした経験のある人は試合をたくさんしたいと思うはずだ.
学校の授業や勉強でワクワクした経験をしたら,きっと大人になっても何かを学ぶ楽しさを持ち続けられるだろう.小学校5・6年生で高校生用の日本史辞典を片手に自分だけの日本史ノートをせっせと作っていた私は,その時点の自分にとってかなり難しい本を読んで,何とか理解しようとする楽しさを今でも持ち続けていると思う.

このことは,逆も真だと思う.
スポーツでイヤな経験が積み重なれば,スポーツはイヤなものになってしまうだろうし,授業や勉強が苦しいものだと経験してしまうと大人になってまで勉強しようとは思わなくなるはずだ.
また,ワクワクもドキドキもしない平板な経験は記憶に残らないから,大人になってからの価値観にほとんど影響を与えないのではないだろうか.

まちでの経験も同じだと思う.
幼い頃のまちなか経験がワクワクするものだったら,そのまちに暮らし続けたいと思うはずだ.
ワクワクは,自分で乗り越えることが少しだけ難しかったり,ストレスにならない程度の緊張があったりするところに生まれる.スポーツのトレーニングの負荷や勉強の難しさが度を超えていると,それはネガティブな経験になってしまうけれど,ちょうどいい加減の過負荷なら楽しさに変わる.
子どもたちにとって,ちょうどいい負荷のまちなか経験とは,どんなものだろう.

適度に危なくて,万が一の時は大人が助けてくれるまちは,安心して冒険できるはずだ.
狭い路地に入ると怪しい雰囲気があってドキドキする.さらに迷い込むとどこにいるのか分からなくなるけれど,いよいよ困ったら,どちらかに進み続けたら見た気がするまちかどの風景に出たり,誰かに聞いたら教えてくれる.そんなまちは楽しそうだ.
きっと,助けてくれる大人は家族ではダメで,見ず知らずの大人の方がドキドキしそうだ.
今の子どもたちはGoogleマップを駆使して迷うことはないのかもしれないけれど,それでは負荷が小さくなって,ワクワクもドキドキもしなくなりそうだ.

今の時代,まちなかに子どもがウロウロしていたら,それに気付いた大人がすぐに「大丈夫?」と手を差し伸べるか,迷子として警察に届けそうなものだが,その子の表情をしっかりみて,ワクワクドキドキの最中なら放っておくのがいいだろう.幼少期のワクワクを守れるまちになるといいなと思う.

髙岡 敦史

WRITTEN BY

髙岡 敦史
スポーツまちづくり会社・合同会社Sports Drive 社長 岡山大学大学院教育学研究科 准教授、博士(体育科学) スポーツ経営学を専門とする研究者であり、スポーツまちづくりの現場に多く参画している。近著に『スポーツまちづくりの教科書』(2019年、青弓社)。