月とまち
雨が上がって空気が澄んで,月がきれいだった.
繊細で細い月は,宇宙を感じる.
地球からずっと遠くにある月という大きな球体が,もっと遠くにあって,今ここからは見えない太陽に照らされることで明るく見えているのだが,角度的にほんの少ししか見えないところが,またいい.さらに,月のそばに煌々と宵の明星・金星が輝いていて,これまたずーーっと遠くにある月よりも大きな球体で,これも太陽に照らされている.
宇宙を感じる瞬間はいろいろあって,太陽と月の両方が同時に見える時は,地球も宇宙に浮かんでいる惑星のひとつだと感じるし,.
「宇宙を感じる」時に天文学の知識は全く使っていない.中学校3年生で天体を学んだはずなのだが,ほとんど覚えていない.月の満ち欠けは,地球と太陽と月の位置関係や地球の地軸の傾きなどとの関係で決まっているはずなのだが,よく分かっていないし,Googleで調べてみてもいまいち理解できない.太陽は超巨大で,金星の方が月より大きく遠くにあるという知識は,学校の授業で学ぶようなことではなく一般常識だ.
原理や構造はよく分からないけれど,その原理や構造が織りなすモノやコトそのものに強く興味を惹かれるということは案外多いのではないだろうか.私にとっては,蒸留酒や醸造酒といったアルコール飲料と,まちがそうだ.なぜそうなっているのか分からないけれど,魅力的だ.
研究者としては,まちの原理や構造を少しずつ解明することが仕事なのだが,すべてを理解しきることはできないと感じる.まちはカオスだ.さらに時間軸まで持っている.今日と10年後ではまったく違う.
しかし,この理解しきれないカオスと時間による変化が興味を惹かれる理由だろう.
月や金星や太陽と同じ空間にある地球という惑星にいる私を起点に宇宙を感じる以上に,まちの中に私はいると感じる.私はカオスを構成する要素のひとつで,時間とともに私も変わり,まちも変わる.そういう私の存在の仕方をひしひしと感じられるところに惹かれているのだと思う.