定点観測

想像力とまち

教育学部というところでは,よく模擬授業というのをやる.
学生が教師役になり,その他の学生が子ども役になって授業を行うというものだ.
教師役の学生が授業のデザイン,準備,実施までを行い,その内容についてみんなでふり返って授業づくりや授業の仕方を学んでいく.

基本的には教師役が実験台なのだが,実は,子ども役の学生たちも大学教員から見られている.
小学校を想定した模擬授業では,子ども役は小学生として授業を受けることになるのだが,実際は頭脳も精神も肉体も中身は大学生だから,往々にして大学生のまま学習者になってしまう者が出てくる.
こういう学生たちは,教師役になっても大学生らしさが抜けないことが多い.

頭脳や精神や肉体を,小学生にすることはできない.
しかし,一部の学生たちは,まるでそこに小学生がいるかのように振舞える.
彼ら彼女らに共通しているのは,小学生の頭脳と精神と肉体をくっきりと想像することができる,ということだ.
先生からのこういう問いかけに対して,小学生はどう考えるだろう?
授業でのこういう場面で,小学生はどう感じているだろう?
こんな気分の時,小学生はどういう態度になるだろう?
こういうことを細部にわたって想像できると,表現することができる.

他者に対する想像力は,すべての人にとって重要になる能力だろう.
接客業に就く人は,目の前のお客様が何をどのように感じ,考えているのかを観察や会話を通して想像できないと,次なるサービスの一手が打てないはずだ.
ものづくりを仕事にする人も,生産しようとする商品がどういうシーンでどのように使われるのか,を想像することでより良いものが生み出せるだろう.
まちづくりに関わる人には,高度な他者想像力が求められると思う.
他者が極めて多様で大人数だからだ.話し合ったり,協力し合ったりする他者は立場によって考え方が大きく異なるから,多様性は極めて高く,想像の幅は極大だ.

他者の想像は,忖度とは違う.共通理解やシンパシー(同情)とも違う.これらは「『この人は〇〇と考えているはず』で,わたしも同じように思う」ということだ.一方,意味のある他者想像は,「もしわたしが,この人になったら〇〇と考えるはずだ」という感覚で,「憑依」に近い.エンパシー(感情移入)とも言う.わたしはもうそこにはいなくなり,他者だけが残る.
多くの人が他者想像できるようになったら,まちづくりの話し合いや連携はスムーズになるだろうな,と思う.小学校から他者想像する体験を少しずつ積み重ねられたら,まちづくりも進むだろう.

髙岡 敦史

WRITTEN BY

髙岡 敦史
スポーツまちづくり会社・合同会社Sports Drive 社長 岡山大学大学院教育学研究科 准教授、博士(体育科学) スポーツ経営学を専門とする研究者であり、スポーツまちづくりの現場に多く参画している。近著に『スポーツまちづくりの教科書』(2019年、青弓社)。