定点観測

世界中の五輪選手に”地元”がある

オリンピックになると,すべてのメディアが日本人選手のメダル獲得のニュースで騒ぎ出す.
日本人選手以外出場してないのかしら?と思うほどの熱狂ぶりだ.
そのナショナリズム全開な様相に辟易するのだが,一方で,岡山県を出身地や活動拠点にしている選手たちの出場にはもれなく注目していて,応援している私がいる.

地元選手への応援が地元愛だとしたら,「地元」を少しずつ拡げていくと,中国地方,西日本,そして日本になるはずだ.地元愛はプチ・ナショナリズムなのだろうか.

否,そうではない.
「地元」の拡張は,国の範囲を超え,アジア,そして世界まで拡がるはずだ.地元愛が国の範囲で留まることをナショナリズムというのだ.つまり,地元愛は人類愛の原点になり得るということだ.

岡山を地元にしている選手たちと私の間には,共有しているものがある.
直接会って話したことのある選手もいるが,それ以外の選手たちとも具体的な「地元」を共有している.間違いなく同じまちの風景を見ているし,同じまちの時間を感じている.その共通性こそ,応援したくなる原動力だろう.
日本人選手と私の間にも,今の日本という国の風景や時間という共通性がある.同じ言語を話すという共通性も結構重要かもしれない.

しかし,各国のオリンピック出場選手たちも日本人選手と同じだ.
全世界の選手一人ひとりの後ろ側には,地元愛で応援している地元の人たちがいるのだ.

岡山の選手の活躍も,日本人選手の活躍も,世界各国の選手の活躍も,すべて等しく地元愛を背景に持っている.オリンピックは「地元」の集まりだと言っていいかもしれない.
そういう視線でオリンピックを眺めてみることができれば,日本人選手だけではなく,他国の選手の背景とストーリーも知りたくなってくるし,応援したくなる.そして,「地元」に困難を抱える難民選手や内戦や紛争中の国の選手には,一層強い関心が湧くし,応援したくなる.

オリンピックは,スポーツで世界をつなげることを理念にしている.
日本在住者だから日本人選手を応援する,というところに立ち止まらないで,世界中のアスリート一人ひとりに目を向け,一人ひとりが地元からの応援を背にして競い合うゲームを楽しみたいものだ.

髙岡 敦史

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髙岡 敦史
スポーツまちづくり会社・合同会社Sports Drive 社長 岡山大学大学院教育学研究科 准教授、博士(体育科学) スポーツ経営学を専門とする研究者であり、スポーツまちづくりの現場に多く参画している。近著に『スポーツまちづくりの教科書』(2019年、青弓社)。