定点観測

日本の夏,緊張の夏は暑すぎる

不定期更新のわが家の向日葵.
今まさに満開で,夏らしさを演出してくれている.

夏と言えば,海,太陽,蝉,カブトムシ,プール,BBQ,生ビール,花火というのが個人的な風物詩だ.四季があるというのはとても大切で,一年の時間の流れにメリハリやリズムがつく感じがする.だから,夏は暑くなくてはいけない.暑いから海は気持ちが良いものだし,生ビールは美味しくなるのだ.

しかし,屋外で行われるオリンピック競技の出場選手たちにとっては,最低の環境と言わざるを得ないようだ.「暑いのも夏の風物詩」などと言っている場合ではない.
誘致に際して,日本の招致委員会は大きなウソをついた.夏の東京が「アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候」だと主張していたのだ.五輪開催を考える人たちと出場する人たちが分断され,前者の論理が優先されていることの弊害がここに見られる.

スポーツとは,ひとつのルールを共有した上で技能を競い合うことができる条件が満たされて初めて成立するものだ.その条件とは,①ルールを共有して他の選手たちと競い合えるだけの技能があること,②技能の発揮可能性が公平であること,そして,③トレーニングによって身につけた技能を最大限発揮できる状況があること,だ.
国や地域予選を勝ち進んでオリンピックに出場している時点で①の条件はクリアしている.暑熱対応力も技能の内(つまり条件①の範囲内)だという主張もあり得る.そして,競技環境の暑さは,その時に競い合っている者の間では公平だから②の条件もクリアしているように見える.しかし,③の条件が問題だ.テニスを例にあげれば,雨が降り出したり日没になったら試合は中断される.③の条件が満たされないからだ.今大会の厳しい暑さも同様に扱われるべきかもしれない.

今更,そんなことを言っても始まらないのかもしれない.・・・いや,もう始まってしまっている.少なくとも,オリンピアンたちが,「日本の夏,緊張の夏」を思う存分楽しんでもらう工夫を今からでもしてほしい.
(IOCが7月25日に日程変更を認める判断をしたようだから,運営側にはパフォーマンスを遺憾なく発揮できる競技環境を用意してもらいたい)

髙岡 敦史

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髙岡 敦史
スポーツまちづくり会社・合同会社Sports Drive 社長 岡山大学大学院教育学研究科 准教授、博士(体育科学) スポーツ経営学を専門とする研究者であり、スポーツまちづくりの現場に多く参画している。近著に『スポーツまちづくりの教科書』(2019年、青弓社)。