金メダリストは,なぜすごい?(上)
日々,オリンピック金メダリストが生まれている.
金メダリストは,すごい人だと思われている.
技能の高い方が勝つのがスポーツだから,勝者は技能の高い人だ.オリンピックの金メダルは,現時点で世界で最もその種目の技能の高い人に与えられる称号だ.世界中でたったひとりにしか与えられない称号を持っているというだけで超レアキャラだ.
しかし,ここで疑問が湧く.
金メダリストは,なぜすごいと言えるのだろうか?
金メダリストだからすごいのだろうか?
技能が世界一高いからすごいのだろうか?
では,銀メダリストや銅メダリストは?4位の選手は?順にすごい人でなくなっていくのだとしたら,地方予選で敗退するようなアスリートたちは,もはや「普通の人」なのだろうか?
スポーツの勝敗という結果は,白か黒か,0か100か,だ.
勝利の裏側には必ず敗北がある.オリンピック金メダリストは,全世界のすべてのアスリートの敗北の上に立っている.この勝利という結果をもって「金メダリストはすごい」と評価する考え方は「成果主義」だ.マスメディアが煽るメダル至上主義はまさに成果主義に基づくアスリート評価に則ったものだ.
成果で人を評価する成果主義は,モチベーションを上げたり,報酬の適正化が図れるため,企業経営でも用いられている考え方である.企業の場合は,社員全員にとって納得感のある成果の評価基準を用意することに知恵を絞らないといけないが,スポーツの場合は,成果つまり勝利の評価基準は公平で極めて明確だから,「勝った人がすごい」という評価は受け入れやすい.
この成果主義的な「金メダリストすごい観」は,能力主義とセットになりやすい.金メダリスト=技能世界一と考えられるからだ.
技能(職能)は高い方がいいという「能力主義」も,企業の人事評価に導入されている考え方である.能力の高さに合わせて給与を支払う能力給・職能給は勤務年数と連動しがちで,「たくさん仕事をしていれば(長く勤めていれば)自ずと能力が高まるはずだ」という経験主義的な評価になっていることも多い.
しかし,この「成果主義(金メダリストだからすごい)」も,「能力主義(技能の高い人はすごい)」も,「経験主義(トレーニングし続けるとすごい)」も,スポーツの普及の妨げになるのではないだろうか.
オリンピックに感化されてスポーツをしたいと思う子どもたちは,否応なくこの3つの考え方に巻き込まれる.より高い競技成績を残すことが要求され,際限なく高い技能を身につけることを要求され,どこまでも多くの練習量を要求されるのだ.ライフスタイルが多様化している今日,そんな厳しい世界にわざわざ身を投じようとする子どもたちがどれだけ増えるだろうか.
(「金メダリストは,なぜすごい?(下)」に続く)