定点観測

まちの夏休み

今日から大学は夏休みに突入.
今学期の成績処理がまだ残っているけれど,オリンピックもあったからずいぶん前からすっかり夏休み気分だ.
さぁ,何をしようか♪

・・・と言いたいところだが,お盆が明けたら担当している集中授業が複数あるし,9月に入れば教育実習が始まるから,「あれ・・・?夏休みどこいった?」となるのは明白だ.

思い出してみれば,小学生の頃の夏休みは,ラジオ体操行って遊んで,宿題やって,遊んで,遊んで,プール行って遊んで,宿題やって,の生活だった.たくましく,飽きもせず,よく炎天下で遊んでいたなぁ,と思うし,心底面倒くさかった宿題もよくやっていたものだ,と思う.考えられるだけの色々にひたむきで,すべてが「自己目的的」(それをすることそのものが目的)だった感じがする.

それから,大人になって,あの頃の純粋なひたむきさは,社会的な責任や使命を果たすための実直さのようなものに変わっている.ほぼすべてのことに自己決定できるようになっているけれど,自己目的的なことはほとんどない.すべてのことに別の目的やゴールがある.責任や使命を果たそうとする一人ひとりの実直さの積み重ねと,社会的に調整された目的やゴールの達成が,まちを前進させているはずだ.

一方で,子どもの純粋で自己目的的なひたむきさは,生きようとするエネルギーのほとばしりで,人間であることの根源だろう.オリンピックのスケートボード・ストリートの西矢椛さんがベストトリックを決めた瞬間の実況「13歳!真夏の大冒険!」は,まさに彼女の生のエネルギーに触発されたものだったと思う.そういうエネルギーは,まちのエネルギーの奥底に必要なはずだ.

そういう意味では,大人としての使命感に溢れる仕事と,純粋で自己目的的な生き方は,どちらもまちにとって必要なんだと思う.
前者は何とかやっていると思うから,したいことをする,あるがままにある,という夏休みの時間を持ちたいと思う.

髙岡 敦史

WRITTEN BY

髙岡 敦史
スポーツまちづくり会社・合同会社Sports Drive 社長 岡山大学大学院教育学研究科 准教授、博士(体育科学) スポーツ経営学を専門とする研究者であり、スポーツまちづくりの現場に多く参画している。近著に『スポーツまちづくりの教科書』(2019年、青弓社)。