定点観測

コロナ禍の地元プロ・スポーツの行方

岡山は台風一過,少しだけ暑さが和らいだ.
コロナ禍第5波の飲食店の時短営業要請で,相変わらず夜のまちなかの人流は少ない.

論理的には,人が動かなければ,お金も動かないし,対話も生まれないから知の継承も創造もない.
そんな今のまちは,過去とも未来とも分断され,その狭間で止まってしまっていると言えるかもしれない.

そんな中でのオリンピックや開幕した夏の甲子園,再開された地元のプロ・スポーツのホームゲームは,時間の止まったまちとは全く別の時空にあるパラレルワールドの風景のようだ.エンターテインメントだけが宙に浮かんでいる夢の世界と言っていい.
一方で,わたしたちが運動やスポーツをする時,肉体も時間もわたしたちのものであり,その時空間はパラレルワールドにはなり得ない.現実のまちの中に運動・スポーツ活動はある.だから,多くの参加型スポーツイベントは,まちの時間が止まれば同じように延期や中止に追い込まれる.

このままでは,「みるスポーツ」だけがまちから離れていってしまいそうだ.
少なくとも地元のプロ・スポーツはまちの時空に戻ってこないと,応援する意味も,クラブが地域にある価値も,まちの生活の文脈から離れてしまうだろう.年間パスポートの購入はスポーツ・エンターテインメントの年会費の支払いに過ぎなくなり,企業協賛には経済的リターンを要求され,他団体との連携は機能分担に過ぎなくなる.そうなったら,もはやそのクラブでなくてもよくなる.

スポーツ観戦が,宙に浮いたエンタメ時空間としてではなく,コロナ禍を生きる今のわたしたちの時空に,どのように存在すればいいのか,一日でも早く回答を出さないといけない.時間は過ぎていくし,わたしたちはまちで生きていくから,「コロナ禍が終息したら元に戻るはず」などと言っていると,パラレルワールドから出てこれなくなってしまいそうだ.

しかし,地元のプロ・スポーツは,まちと人を動かすスポーツインフラになりうる.
コロナ禍の自粛空気の中,人流を増やすことなくまちを動かす工夫が必要だ.
おそらく,ホームゲーム観戦とそこへの集客に依存しない事業展開がその回答のひとつだろう.
まちと人の動かし方はいろいろある.そして,プロ・スポーツだからこそできる取り組みもいろいろある.発想する力と挑戦する力次第だ.

髙岡 敦史

WRITTEN BY

髙岡 敦史
スポーツまちづくり会社・合同会社Sports Drive 社長 岡山大学大学院教育学研究科 准教授、博士(体育科学) スポーツ経営学を専門とする研究者であり、スポーツまちづくりの現場に多く参画している。近著に『スポーツまちづくりの教科書』(2019年、青弓社)。