定点観測

混ざり合った未来社会からパラリンピックを観てみよう

東京パラリンピック(国際パラリンピック委員会:IPC主催)が開幕した.

パラリンピックに参加できる障害は,肢体不自由(上肢・下肢および欠損、麻痺),脳性麻痺,視覚障害,知的障害だけだ.しかも,スポーツ競技大会として競争の公平性を期すために,障害の部位や程度で厳しくクラス分けされている.
パラリンピックに出場できない聴覚障害者にはデフリンピック(国際ろう者スポーツ委員会:ICSD主催)という別の国際大会がある.
オリンピックが性別を厳しく管理するように,競技スポーツの世界は「バラバラ」だ.

一方,知的障害者のための国際スポーツ大会・スペシャルオリンピックスは,パラリンピックやデフリンピックとは全く趣旨が違い,日常のトレーニングの成果を発表し合う生涯スポーツの大会だ.だから,表彰式には出場選手全員が参加して最下位から順に全員が表彰されるし,予選の成績によってディビジョン(グループ)ごとに決勝が行われる.また,決勝で有利になるように予選で手抜きをすることを防ぐため,予選と決勝で15%以上の差がある場合は失格になるマキシマム・エフォート等のルールが存在する.全員が今発揮できる最大のパフォーマンスを発揮することを求められるのだ.健常者と一緒に出場する種目もある.

スペシャルオリンピックスの考え方は,すべての人にとって適用できるものではないかと思うが,今のところ,主な対象は知的障害者だ.

すべてが混ざったスポーツの世界とは,どのようなものだろうか.

少なくとも,超人がチャンピオンを決める競技大会ではないだろう.
スペシャルオリンピックスが目指す方向にスポーツの未来があるように感じるのは私だけだろうか.

東京2020組織委員会の公式文化プログラム「東京2020 NIPPONフェスティバル」の主催プログラムのひとつ「ONE -Our New Episode- Presented by Japan Airlines MAZEKOZEアイランドツアー」の映像作品が公開されている.
「バラバラ」な世界の中で,日本的な「混ぜこぜ」を提案する作品だ.きっと,不協和音や違和感を感じるだろう.それが自然だ.なぜなら,わたしたちは「混ぜこぜ」な社会を経験したことがないのだから.
混ざり合った未来社会で開催されるスポーツ大会を妄想しながら観ると,パラリンピックの観方も深まると思う.

髙岡 敦史

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髙岡 敦史
スポーツまちづくり会社・合同会社Sports Drive 社長 岡山大学大学院教育学研究科 准教授、博士(体育科学) スポーツ経営学を専門とする研究者であり、スポーツまちづくりの現場に多く参画している。近著に『スポーツまちづくりの教科書』(2019年、青弓社)。