定点観測

パラリンピアンの後ろ側

競技スポーツは,勝敗という結果をめぐる技能の競い合いだ.
例えば,100m走の競い合いは,同じスタートラインから,同じゴールラインまで,ひとつのルールを共有することで成立する.それが競技スポーツの公平性だ.

しかし,競い合いの現場から視点を離してみよう.
選手たちは本当に同じスタートラインに立っているだろうか.

ーーサポートしているコーチング・スタッフは同等のレベルか?
ーー医科学的なサポートは同じ質のものを受けられているか?
ーー日常的に利用できるトレーニング施設の質は?
ーージュニア期の競技環境は?
ーー幼少期にアクセスできたスポーツ機会は同じか?

「違うに決まっている.仕方のないことだ」という言葉が聴こえそうだ.
アスリートはそんなことを愚痴ったりしないだろう.
観戦する多くの人も,そんなことを気にかけたりしない.

しかし,スポーツ環境の整った国とそうでない国の差は確かにあって,その違いはメダル獲得数という結果にも表れている.そして,その差は国家の経済力と連動している.オリンピックをめぐる様々な格差や不平等を指摘した清水(2017)も「『金のない国はメダルが獲れない』という傾向は,今後,ますます進むに違いない」と述べている.

さあ,東京パラリンピックが開幕した.
パラ・アスリートが,残存する身体機能をトレーニングによって増強させて発揮する固有のパフォーマンスとその競い合いは,人間の身体の無限の可能性を感じる.
パラリンピックでは,競技スポーツとしての公平性を担保するために,障害の種別や重さによってクラス分けがなされている.クラス分けはとても厳格で,筋力テストや関節可動域テスト,協調性テストなどの理学的検査による「身体機能評価」と,競技中と日常生活で発揮される「動作能力評価」,そしてクラス分けをした直後の大会での「競技観察」の3つのプロセスから成る.

しかし,パラリンピックについても,競い合いの現場から視点を離してみよう.
おそらく,オリンピックの裏側にある国家間の経済格差よりももっと大きな,障害者の生活とスポーツに関わる環境の国家間格差があるのではないだろうか.

パラリンピアンたちは,本当に同じスタートラインに立っているだろうか.

パラリンピアンの後ろ側に広がる,彼ら彼女らが暮らす国や地域の風景を想像しながら観戦したい.

髙岡 敦史

WRITTEN BY

髙岡 敦史
スポーツまちづくり会社・合同会社Sports Drive 社長 岡山大学大学院教育学研究科 准教授、博士(体育科学) スポーツ経営学を専門とする研究者であり、スポーツまちづくりの現場に多く参画している。近著に『スポーツまちづくりの教科書』(2019年、青弓社)。