定点観測

まちを変える、まちが変わる(終)

まちを構成する要素(人間,人工物,自然,システム,文化)はバラバラに研究・開発されているが,それでは,いつまでたっても,まちそのものは説明できないし,まちを変える実践的知見は得られない.このことは,個別科学の限界というより,科学が深化する過程で細分化(タコツボ化)していくことに根本原因がある.
まちは,要素同士が相互に影響を及ぼし合うネットワーク体と考えられる.各要素のさらに重箱の隅を研究対象にし始め,タコツボ化して領域を超えて共創できなくなった個別科学では,要素間の関係性を理解する超領域研究は生まれにくい.だから,ネットワーク体としてのまち全体を理解する研究は進まないし,まちを変えるための方法論を明らかにしようとする研究も始まらない.

まちを変えることは,要素間の変容の連鎖をデザインすることに他ならないと思う.
まちを変えるには,まちの状況に応じた手順があって,どの要素から変容させ,その変容を他のどの要素の変容に連鎖させていくか,という変容連鎖の構想が必要だろう.
一般的には,自然や文化は一朝一夕には変えられない.一方,人工物やシステムは比較的変更しやすい.そして,人間の意識や行動の変容は他の要素と強く結びつく変容の連鎖のハブだ.そう考えると,まちを変えるためのきっかけ,つまりトリガーは<システムの変更+人工物の更新→人間の変容>というパッケージになるのではないだろうか.

スポーツは,身体や精神へのポジティブな効果への期待から,多くの人たちの集積と交流,高い同調性や凝集性を生む可能性が高い.このスポーツの機能を人工物の変更,システムの更新,人間の変容に生かしていく取り組みが,スポーツインフラの創出・育成(つまりスポーツインフラ経営)ということになるだろう.

しかし,ここで気をつけないといけないことがある.
スポーツが生む同調性や凝集性は,ネガティブな結果を生むこともあるということだ.
ジェンダーバイアスから自由になることやダイバシティ&インクルージョン,トレーニングの科学性や合理性の追求といった新しい価値観を寄せ付けない旧態依然としたスポーツ界の文化は,女性の参画や種目とルールの細分化と競技性の過度な追求,体罰の容認等を当然のこととして守り続けている.東京オリンピック・パラリンピックの開会式・閉会式において度々アナウンスされた「Ladies and gentleman」はその現れのひとつだ.スポーツ文化の更新は,スポーツまちづくりの重要な要素であり,前提でもある.

スポーツを活用した地域活性化やまちづくりは,今では珍しいことではなくなっている.
しかし,具体的にスポーツをまちを構成するどの要素の変容に活用するのか,が問われることはあまりない.それはおそらく,スポーツは基本的にポジティブな効果をもたらすはずだ,という無垢な期待があって,スポーツの名を冠していれば人が集まり,何か良いことが起こるだろう,という無意図的で無頓着な期待があるからだろう.だから,スポーツイベントやスポーツコンテンツ依存のまちづくり策が大半を占めることになる.

決してスポーツは純粋無垢ではないし,万能薬でもない.
スポーツまちづくりを起動させようとする際には,未来のまちに共有すべきスポーツ文化を設定した上で,今のまちのスポーツ文化を批判的に見つめ直して更新していく工夫が必要だろう.
そのためにはやはり,変わりにくいスポーツ文化の更新にまで変容の連鎖が続く「まちを変えるデザイン」が必要だ.

髙岡 敦史

WRITTEN BY

髙岡 敦史
スポーツまちづくり会社・合同会社Sports Drive 社長 岡山大学大学院教育学研究科 准教授、博士(体育科学) スポーツ経営学を専門とする研究者であり、スポーツまちづくりの現場に多く参画している。近著に『スポーツまちづくりの教科書』(2019年、青弓社)。