定点観測

スポーツと環境保全と環境保護

やっぱり海が好きだ.
自然の大きなエネルギーには抗いようがなく,自然の波に合った自然体で生きるしかないから癒される.
きっと,深い山も,渓流も同じだ.

そういう自然環境は,アウトドア・アクティビティのスポーツインフラだ.
都市部のスポーツまちづくりでは,スポーツインフラを人工的・人為的に作り出す必要があるが,自然環境は昔からそこにある.先祖から譲り受けた財産だ.その代わり,建物のように建て直しはできないから,保全活動は未来までずっと続く.

人工的なスポーツ施設は,スポーツ活動等による使用で必ず劣化する.清掃・修繕を繰り返しても,それだけでは完成時より価値を高めることはできない.
自然環境も,間違った利用の仕方で傷つくが,正しい利用をすればインパクトは小さく,自然の自浄作用で劣化しない.また,スポーツ利用者の環境保全活動への巻き込みが実現できれば,より豊かにしていくことも可能だ.

環境保全は環境保護とは違う.
人間のために環境を守り育てるのが環境保全だ.
自然環境は楽しさや癒しを与えてくれて,人間は楽しさや癒しを与えてもらうために環境保全をする,そういう関係が成立しているようにみえる.

しかし,自然と人間はそんな対等な関係だろうか.
自然環境はただそこにあるだけで,楽しさや癒しを与える活動をしているわけではない.わたしたちが勝手に楽しさや癒しを得ているだけだ.多少なりともインパクトを与えながら.それでも,自然は何も言わないし,何も求めない.(インパクトが一定の閾値を超えると,自然災害という形で強烈なリアクションが返ってくる)

環境保全は罪滅ぼしやお地蔵様へのお供え物のようなものかもしれない.
つまり,自然のためにするのではなく,自分自身のためにするものなのだ.
抗いようのない自然の中で,楽しさや癒しを享受するために人間が人為的に生み出したスポーツ活動を行う.
そして,楽しさや癒しの享受を,より大きく,そして持続可能なものにするために,自分自身のために環境保全する.

そういう意味では,自然環境のスポーツインフラ化に伴う環境保全には,環境のために環境を守り育てる環境保護がセットになっている必要があるのではないかと思う.お地蔵様へのお供えと同時に,神社仏閣の清掃や仏様の教えを理解し広めることが必要,という感じだろうか.アウトドア・アクティビティの楽しさの後ろ側には,自然環境への畏敬の念が不可欠だ.

髙岡 敦史

WRITTEN BY

髙岡 敦史
スポーツまちづくり会社・合同会社Sports Drive 社長 岡山大学大学院教育学研究科 准教授、博士(体育科学) スポーツ経営学を専門とする研究者であり、スポーツまちづくりの現場に多く参画している。近著に『スポーツまちづくりの教科書』(2019年、青弓社)。