オンライン空間をあきらめ,まちへ出よう
『nature human behaviour』という科学誌に興味深い論文が発表された.
Microsoft社の6万人の社員がフルリモートワークになった結果,仕事にどのような影響を与えたか,というものだ.
結論は,かつて活発だった社内のコラボレーション・ネットワークが動かなくなり,部署を超えたコミュニケーションが少なくなった結果,社内全体で新しい情報を取得して共有することが難しくなったというものだ.
ネットワーク理論では,組織構造上,直接つながっていない他部署とのつながりや非公式の(つまり個人的かつ偶然の)情報のやり取りが,新しい情報にアクセスしやすくさせることが分かっている.組織には,情報があまり行き来しない「構造的な穴」があって,それを橋渡しすることで部署を超える知識移転が起こり,イノベーションが起こりやすくなる.
コロナ禍でリモートワークが求められているものの,多くの企業では集合・対面での業務を維持しようという向きもある.おそらく,肌感覚としてこの研究結果を先取りしていたのではないかと思われる.
現在のオンライン・ミーティングの技術では,ミーティングのためのURLを発行し,そこに招待された人だけが集まるしかない.その場に何人いても,会話は常に1対1の単純な順番取り(Aさんが話し終わってからBさんが話し始めるという順番)で遂行される.
一方,集合・対面のミーティングでは,(参加自由な場なら)参加したい人が集まれるし,(わいわいがやがやが認められる場なら)多対多の複雑な順番取りの会話や,複数の会話が同時に発生することもある.自ずと,その場で交わされる情報量は多くなる.どちらが新しい情報の取得と共有を可能にするかは経験的にも明らかだ.
コロナ禍当初,物理的な移動を伴わなくても集まれるリモートワークの利便性に驚いた.仕事の効率も高まったように感じた.しかし,その効率の良さが偶発的で創発的な気付きを犠牲にしていることにあっという間に気付いてしまった.
Microsoft Teamsやzoomの限界を超えるために,仕事仲間とDiscordというアプリケーションを用いてみたこともあった.メンバーは常にDiscord上にログインしていて,話しかけたい時にテキストや音声で話しかけられるというものだ.常に全員とチャットや電話がつながっているようなものと考えればいい.しかし,すべてのメンバーが常に社内にいるのと同等程度にログイン状態を維持できなければこの機能は効果を発揮しない.たとえログインできていたとしても,「今,ちょっといい?」と声をかけるには,まるでデスクに座っている相手を遠くから見つけて声をかけるが如く相手の状況を察することが必要で,顔の見えないログイン情報だけでは気軽な声かけは難しかった.
人は,単に言葉だけで情報伝達しているのではない.会話参加していない人の困った表情や落ち着かない様子,横から話に割って入ってくる時の勢いや前のめりな体勢は,言葉以上に多くの情報を含んでいる.スムーズに会話できるのは,上半身だけしか映っていない2人だけというオンライン・ミーティングではそれらすべてが失われる.技術革新を待ちたいところだが,集合・対面が可能にする情報流通量と知識創造にすぐさま追いつくことは難しいだろう.
まちで多様な人たちと偶然出会うことが大切だということについては「ビールとウィルスとまち(2021.07.06)」でも書いた.まちはその土地の上で出会いが生まれる場だ.まちには場への偏愛から生まれる偶然があるが,オンライン・ミーティングにはそれがない.そのことについては「私が場所を選ぶ?場所が仕事を選ぶ?(2021.06.12)」で書いた.
「さあ,まちへ出よう!」と言いにくい状況が続くが,少なくともオンライン空間からは出ないといけない.