定点観測

未来構想メモ③:地域生態系の中のスポーツまちづくり?

3回目は,「地域生態系の中のスポーツまちづくり」.

スポーツと自然環境の持続可能性問題は,これまであまり結びつけられずにきた.
しかし,まちは人間-生物-環境の相互関係で成り立っている.まちは「地域生態系」だ.まちでの生活環境や自然環境の持続可能性を考える上で,人間の存在を無視することはできない.
そういう意味で,人間が創造してきたスポーツ文化も地域生態系の中で捉える必要があるだろう.

2回目「自給自足・地域循環のスポーツまちづくり」で述べた通り,人間は大量消費を前提とした経済原理の中に生きているが,消費量の増大から幸福の増大へ生き方を転換させたとしても,人間の幸福追求が環境保全と相容れない可能性は十分にある.自然を支配し一方的に利用するのではなく,自然の豊かさの増大と人間の幸福の増大が相互依存の関係にならなければ,わたしたちの地球での生活は近い内に破綻する.

一方,自然の豊かさを増大させるスポーツは想像しにくい.自然とスポーツは(アウトドアスポーツ以外は)一見遠い関係にあるように思える.
スポーツがもたらした長雨?(2021.08.21)」では,スポーツの無限の拡大は,限りある地球環境と矛盾すると述べた.だから,「アウトドア・スポーツの未来とは?(2021.09.02)」で,トレイルランについて「自然を活用したスポーツ」ではなく「自然と共生するアクティビティ」に向かう必要があるのではないだろうか,と提案した.「ジブリなスポーツ④最終回(2021.06.08)」でも自然と共生した方が,スポーツは楽しさを拡げられるのではないかと書いていた.

定点観測で何度となく描いてきた自然と共生するスポーツの構想だが,自然との共生を問題にするのは,スポーツの中に自然を支配したり,都合よく利用しようとする意識に通じる行為規範が隠れていると考えているからだ.

例えば,スポーツをするフィールドはできるだけ整地されている方がいいと考えられている.でこぼこの地面ではゲームの偶然性が高まりすぎて,意図的なプレイができないからだ.

アウトドアスポーツは手つかずの自然環境の方が楽しくなるけれど,それでもプレイヤーの安全を確保するために人為的に手を入れるし,東京五輪のスポーツクライミングやスラロームカヌーがそうだったように,競技性が高まるとフィールドは人工物になる.

スポーツウェアは外気温や日差しをシャットアウトしたり利用したりする特殊な素材で作られている.過剰な環境は安全・快適・効率的なパフォーマンスのために排除されるものだ.

そもそもスポーツは,自然的な人間の肉体を効果的なプレイのために強化・改造するトレーニング(練習)を要求する.競技性が高まるほどその要求は大きくなる.ひとつの種目に特化したトップアスリートの肉体はトレーニング科学を根拠に人為的に作られたものだと言っていい.

スポーツと関わる現代人は,地域生態系の中に位置付く自然的存在ではなくなりつつある.
もし,人間が他の生物や自然環境と相互作用して生きる道を選ぶとしたら,まちでの生活も,スポーツのような文化も,地域生態系の中に位置付け直し,生物や自然環境と相互作用できるものにしておく必要があるのではないだろうか.

髙岡 敦史

WRITTEN BY

髙岡 敦史
スポーツまちづくり会社・合同会社Sports Drive 社長 岡山大学大学院教育学研究科 准教授、博士(体育科学) スポーツ経営学を専門とする研究者であり、スポーツまちづくりの現場に多く参画している。近著に『スポーツまちづくりの教科書』(2019年、青弓社)。