定点観測

モネちゃんの悩みから社会科学を考える

週明けから気温が一気に下がる予報.
半袖半ズボンでしていたパークワーク(パワーク)も長袖長ズボンが必要になりそうだ.

朝ドラ「おかえりモネ」の今週のテーマのひとつは,気象予報サービスは気象を変えることはできず,基本的には悪くなることを予測するしかない,というものだ.
モネちゃんに同一化してしまうコア視聴者としては,地域に役に立ちたいと思って地元に根付こうとしているモネちゃんは悩み深いだろうなぁ,と感じるわけだが,ふと冷静になると,未来予測できるだけでもすごいことだとも思える.その予測によって,自然の猛威から命と生活を守るための「リードタイム」を提供することができる.

現場の当事者になるタイプの研究者は,現場をより良いものにしたいと思って現場に積極的に関与するわけだが,研究によって未来を予測することはできない,とも自覚している.

卒業論文の指導がひとつの佳境を迎えているが,多くの学生たちは,研究デザインの初期に「〇〇が良くなる方法を提案したい」ということを研究目的に設定しがちだ.しかし,実際には卒論サイズの研究で,「こうすれば良くなる」ということに正解は出せない.
なぜなら,研究のために収集できるデータは過去のものでしかなく,しかも現場で成立している状況(事象)は極めて多くの条件が複雑に絡み合ったものだから,すべての条件をデータとして収集することは事実上不可能だからだ.
このことは,卒論を書こうとしている大学生に限らず,すべての研究者がそうだ.世の中のすべてのデータを取ることはできず,しかもそのデータは過去のものだから,「こうすれば良くなる」と未来予測することはできない.

気象予報士は,過去の気象データと現在の気圧や風向風力,地形等のデータを参照して,少なくとも数日間の気象を予測する.社会科学からみればその予測精度は驚くべきものだし,生活と命を守ることのできる仕事だと思う.しかし,それでも,近未来の気象を変えることはできない.モネちゃんが悩む通り,「自然の前では無力」だ.

社会科学者も,過去のデータに基づいて過去と現在を理解することしかできない.
しかし,気象予報士と同じように「社会の前では無力」なのだろうか.

そうは思わない.
気象予報士は,気象という自然現象を生み出す当事者にはなれないが,社会科学者はまちという社会現象を生み出す当事者になれる.社会科学者に未来予測はできないが,未来を創り出す当事者にはなれるのではないかと思っている.

まちの現場では,新しいことを生み出していかなければいけない.そのためには過去と現在の出来事を理解しておく必要がある.「温故知新」だ.
当事者にならず,研究だけにまい進する社会科学者も大勢いる.そういう研究者の役割は,気象予報士にとって必要不可欠な過去の気象データを蓄積するのに似ている.未来を創り出すために必要な現在と過去の深い理解をもたらす「温故」の役割だ.

当事者になってしまう研究者は「温故」と「知新」の両方をするのが使命だろうと思う.
すでに過去の気象データ等を活用して気象予報できるようになっているモネちゃんが,これから気仙沼でどんな「知新」をしていくのか,楽しみだ.

髙岡 敦史

WRITTEN BY

髙岡 敦史
スポーツまちづくり会社・合同会社Sports Drive 社長 岡山大学大学院教育学研究科 准教授、博士(体育科学) スポーツ経営学を専門とする研究者であり、スポーツまちづくりの現場に多く参画している。近著に『スポーツまちづくりの教科書』(2019年、青弓社)。