スポーツと地域

マラソンをピクニックにしてみよう!~マラニックの始まり~

 「マラニック」って知ってますか?「マラソン」と「ピクニック」を組み合わせた造語だそうです。生みの親は、元箱根駅伝のランナーで長年、市民ランナーを指導してきた山西哲郎さん。山西さんは「マラニック」は、「心と体、周りの風景との対話」だと言います。スローなランニングをまち作り・ムラ作りにもつなげている山西さんの話に、少し耳を傾けてみましょう。

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 1960年代にニュージランドのランニングの名コーチ、アーサー・リデイアードはマラソンのような長距離走にハイキングを取り入れて行っていました。まず、中高年の市民ランナーが1時間早く走り始め、そのあとオリンピックで活躍したアスリートが、同じコースをゴールを目指してスタート。そして、およそ同じ時間にゴールする。その場所には家族が迎え、そこで皆でパーテイを楽しむというマラソンとピクニックを合わせた方法を創り、マラトニックと呼んでいました。

 1970年の頃、私が東京教育大学(現筑波大学)の箱根駅伝チームのコーチをやっていたとき休養的な練習に、4時間ほどのランニングにウオーキングを取り入れ。これを約2. 3㎞ごとに歩きと走りを交互にやってみる。最初、練習で歩いたことがなかった学生は不満であったのですが、しだいに楽しくなり、スマイルの表情で語り合う。終わってみれば、動的な休息となり、体の疲労のみならず精神的にも元気になっていたのです。ランニングにウオーキングを絡ませて、楽しい感覚が生まれ、イメージはニュージランドのマラトニック。

 

ゆっくり走り、時には歩く 

 ランナーが大会で歩くことはタブーなので、体調が悪くなったときか、走る意志が無くなった証し。

 しかし、幼児が走ると、ニコニコした表情で、動きも天真爛漫。とにかく、楽しいから走るのだという表現です。

 学校の体育で持久走と称してランニングを教えられ、やがて、それまで楽しく自由に走っていたのに、順位や記録ばかり求められれば、走りの遅い者ほど、嫌になってしまう。そして、途中歩いてしまうと走り続けるルールを守らず脱落者のように思われてしまうのです。本来は、最後まで走り続ければ、達成感の喜びは湧いてくるのですが。
 70年代から市民ランナーと呼ばれる中高年の人たちが路上や公園などに現れ、散歩する人のように風景になって、世界の各地に広がり始めました。当時、旅先のオーストラリアの大都市シドニーで走っていた私は、多くのランナーと笑顔で「グッドラン」と声を掛けられ、異国とは思えなくなり、どこに行っても気楽に走り始めました。

 帰国して中高年者や学生をランニングの指導するとき、オーストラリアのような快適に走る風景にならないかと考え始めました。それには、まず、会話をしながらスピードを落として走ってみると、体の動きに心地よさを感じる。 これに加えて、走っている途中に歩きを入れてみる。すると、「歩いてもいいですか」と不安そうに質問が出るのは、そういわれたことがないからだろう。走に歩を加えれば、心身にゆとりが出て、笑顔が自然に湧いてきます。

 マラニックは、つなぎで対話なり

 

 私の走る仲間と、「マラトニックでは、言いにくいからマラニックにしよう」と相談をして決めました。

 「走る」に「歩き」つなげて「マラニック」にすれば、そのつなぎによって、私の「心」と「体」が対話する。友だちとの対話、そして、周りの風景とも対話する・・

 私は10年以上前から、全国各地に、走る仲間と出かけては、その土地に走るにふさわしい風景があれば地元の走ろう会やランナーに呼びかけて「マラニック大会を創ってみませんか」と呼び掛けてきました。 その経験を鳥取大学の地域学部で講話したとき、学生から多くのコメントをもらいましたが、ある学生の一文を紹介してみます。

「マラニックは、身体などにハンデを抱えている人でも参加することが出来、普段、何気なく過ごしている地域の中でその魅力を再発見する力をマラニックは持っていると思います。 私は走ることが、ただ疲れるので嫌いだと思っていましたが、でも、鬼ごっこなどは楽しくできるので、教育の中で順位などをつけられて、走ることの楽しさを得られなかったのではないかと思いました。きっと同じような人は少なくないと、このマラニックがこれから広がっていけばいいと思います」

『マラニックは道草ラン。歩いて、走って、会話して、俳句も詠み、やがて小さな旅となる』

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山西さんの話はこの後も続きます。市民ランニングの歴史について語っていただきます。