スポーツとコロナ

「スポーツは不要不急か?」岡山大バスケ部の〝決起〟㊦

 新型コロナウイルス禍で大学スポーツは、かつてない逆風にさらされている。岡山大では昨年9月、男子バスケットボール部が大学側に対外試合の解禁を求めてインターネットで署名活動を展開、4年生にとって最後の大会となるインカレ中国予選への出場を果たした。何が学生たちを突き動かしたのか。学生自らが関係者に話を聞き、当時の心情に迫ったリポートの後編。

 

 「自分たちは、どうして大学でスポーツをやっているんだ?」。このコロナ禍で満足に部活動ができなくなってから、この問いの答えを探している。署名活動を行ったバスケットボール部員にはその答えが見えていたのだろうか。どんな思いを胸に行動に起こしたのだろう。活動の中心となった2年生の2人に話を聞いてみた。

「ただ、スポーツが好きだから」とNさんは口を開いた。試合の中でバスケットボールの価値を追い求めたい。スポーツには、社会的な役割、価値があると信じている。「だから、行動を起こそうと思ったのだ」と言う。小、中、高校までは、試合で勝つことがスポーツの「価値」だと思っていた。しかし、大学でスポーツに関わる指導者や学生、大人たちの話を聞く中で、勝ち負けではないスポーツ価値があることを知った。「競技を通じ、このことをもっと多くの人に知ってもらいたい。そして、引退する4回生とも思いを共有したい」という気持ちに背中を押されていた。

 もう一人のAさんは、コロナ禍で大学生活の何もかもが中止、延期される中、「何か一つでも『良いことがあった』と思える事を作りたい」と願っていた。その一つが、バスケだった。スポーツ推薦で学生を集めるような強豪大学と地方の国立大では部活動の位置付けが違うだろう。彼にとってのバスケは、あくまで「人生を豊かにしてくれるもの」だった。その中で勝敗にこだわり、自分が幸せだと感じられるくらい夢中になれるものとして試合や大会がある。「先輩にもそんな幸せで夢中な時間を感じて欲しかったから行動を起こした」と胸の内を明かしてくれた。

 中学、高校の部活動は、教育の一環で生徒を指導する機能を担っている。コロナだからといって、教育を投げ出すわけにはいかない。一方で、大学の部活動は、あくまで学生の自治活動。大学の研究・教育活動の継続を優先するために、再開が後回しになってしまったことは致し方がないのかもしれない。

 マスコミに就職し、大学スポーツの取材にも携わっていた先輩によると、大学病院を運営している岡山大は、地域医療に対する責任感から「学内での感染者は出せない」と、部活動への制限を他大学より厳しくしていたそうだ。大学によって対応はまちまちだが、やはり強豪校ほど試合も練習も制限が少なかった。身近に感染者まだまだ少なく、当事者意識を持ちにくいこともあって、厳しい制限を課せられている大学の学生ほど不満を抱えていたそうだ。

 先輩はサッカー部だったが、中学、高校のような「やらされ感」がなく、自分たちの頭で練習メニューを考え、自主的にチームを運営することで、純粋にスポーツを楽しめたのは大学時代だったという。

 岡山大男子バスケ部も強制参加ではない。部活に行きたくなければ行かなければいい。バスケに夢中になれる人、本気で勝ちにいきたい、うまくなりたいと思う人たちが練習に参加するチームだ。選択肢が自分ちの側にあるからこそ「自分にとってスポーツとは」という本質的な問いに答えを出そうと前向きに努力することができ、そして、対外試合解禁を求める署名活動にもつながったのだろう。話を聞いたバスケ部の2人は、コロナ禍を経て人間としてもスポーツマンとしても成熟しているように感じた。

 今回は大学スポーツの窮地を乗り越えるため、行動を起こした学生たちを題材にここまで書いてきた。彼らは、わずか4日間で1000件を超える署名をインターネットで集めた。大学生とはいえ、所属するコミュニティや知り合いの数では、社会人よりもずっと小さいにも関わらず。

報道によると、北海道大でも最近、体育会の学生有志が大会参加を禁止する制限の緩和を求め7千人分の署名を大学に提出したそうだ。スポーツの再開を求めているのは、岡山大だけではない。 本当に「スポーツは不要不急」なのか。その答えは、岡山大男子バスケ部の有志たちが展開した署名活動の結果が物語っている。