定点観測

「五輪に命をかける」の怪④-競技スポーツとまち

今回は,「競技スポーツは命をかけるほどのものだというイメージや考え方は,スポーツまちづくりにどういう影響を与えるか?」について考えたい.(②-前半②-後半③-前半③-後半はこちら)

トップアスリートには,快活で明るく前向きなイメージがあり,発信力や集客力がある.
地元地域を出身地にしていたり,活動拠点にしていたりするトップアスリートの存在は,彼ら彼女らのそうしたポジティブイメージとエネルギーが価値としてまちに共有されることで初めてスポーツインフラになる可能性を持つ.

しかし,「「五輪に命をかける」の怪②—競技スポーツの精神性(前)」で述べたように,「命をかけるほど真剣に」という闘争的な競技スポーツの考え方は,時として暴力やルール違反を生む.そうしたリスクはトップアスリートを企業や自治体が活用しようとする際にいつも付いて回るものだ.
トップアスリートを「命をかけるほど真剣にスポーツをしている人たち」と特別視する視線は,トップアスリートの希少価値の基盤になっているかもしれない.しかし,それは必ずしもポジティブな価値認識とは言えないのではないだろうか.この価値認識のままでは,レアキャラなのは現役時代だけで,スポーツに命をかけなくなった元トップアスリートはただの人にされてしまう.

トップアスリートのポジティブイメージとエネルギーは,トップアスリートとしての生き方が,わたしたちの「まちでの生き方」の延長線上にあることで共感を生むのではないかと思うし,そうなると持続可能な価値になるのではないかと思う.
わたしたちは,出来ればやりがいのある仕事をしたいと願う.仕事も楽しくしたいし,それとは別にプライベートも楽しいものでありたい.トップアスリートの競技生活と,そこでのトレーニングの成果としての卓越したパフォーマンスを,いずれも楽しいものとして観ることができたら,あるいは「”遊び” を仕事にしている」というライフスタイルとして受け止めることができたら,わたしたちの生き方のモデルのひとつになるのではないだろうか.

トップアスリートは現役引退後,必ずどこかの地域で暮らすことになる.地元としては,できればこの地域で暮らして,元トップアスリートとしての経験やそこで培った能力を生かしてほしいと願う.「”遊び” を仕事にしている」というライフスタイルを引退後も続けられれば,トップアスリートの価値は引退後も持続するのではないだろうか.
そういう意味で,トップアスリートの地元でのセカンドキャリアは,できればスポーツに関わるものであってほしいし,そうでなくても,楽しいと思える仕事に就いてほしいものだ.

(「「五輪に命をかける」の怪-終」に続く 

髙岡 敦史

WRITTEN BY

髙岡 敦史
スポーツまちづくり会社・合同会社Sports Drive 社長 岡山大学大学院教育学研究科 准教授、博士(体育科学) スポーツ経営学を専門とする研究者であり、スポーツまちづくりの現場に多く参画している。近著に『スポーツまちづくりの教科書』(2019年、青弓社)。