パラを迎えるためにオリを送る,お盆だけに④:スポーツの再発見
オリンピックが大きな海だとしたら,海面は大荒れだった.しかし,海の中ではアスリートが悠々と,自由に泳いでいた.そのふたつは実に対照的だったと思う.
昨日までは,オリンピックの「大荒れ」の部分,つまり問題を上から眺めてみた.
今日は,「静けさ」の部分,アスリートが体現してくれたオリンピックの底にある本質的な価値を整理してみたい.
東京オリンピックの国内報道は,日本人選手のメダル獲得に集中していたが,それとは大きく異なる論調で繰り返し報道されたのが,新種目として採用されたアーバン・スポーツ(スケートボード,フリースタイルBMX,バスケットボールの3×3,スポーツクライミング)の仲良く楽しそうな選手たちの様子だった.
バッハIOC会長も,東京オリンピックの総括に関するNHKのインタビューで,アーバン・スポーツについて「新たな世代をこの大会で魅了することができている.彼らの活躍はSNSなどデジタルプラットフォームで特に若い世代とつながっている.私たちはオリンピックの新たな価値を見いだすという点で目標を達成したと思う」と述べている.
これは,「楽しい」というスポーツの本質的な価値の再発見だったと評価できるだろう.
「スポーツと笑顔(定点観測2021.08.04)」でも書いた通り,選手たちの笑顔は,オリンピックの未来を垣間見せてくれるほど印象的だった.
先に貼った記事にもあるが,世間ではアーバン・スポーツを「新しいスポーツ」だと受け止めているようだ.しかし,それは大きな間違いだ.スポーツは昔も今も遊びであり,本質的には競い合うことが楽しいからスポーツをするのだ.社会的な地位や報酬を求めたり,あるいはメダル獲得の期待に応えたりするために競い合うのは,スポーツの中でも特殊な領域であり,それが本流ではない.今大会でも,アーバン・スポーツのアスリートだけでなく,幾人かのアスリートが真剣に楽しさを追求していたことについては,「金メダリストは,なぜすごい?(下)(定点観測2021.08.01)」にも書いた通りだ.
他方,自ら主張するアスリートの姿も印象的だった.
ドイツの体操女子代表の選手たちは,従来のレオタードではなく全身を覆うボディスーツを着用することで,性的な対象として見られることに抵抗する姿勢を貫いた.
ROCのテニス代表ダニール・メドヴェージェフは,コートの暑さを問題視し,試合開始の時間変更のきっかけを作った.
アメリカの体操代表のシモーン・バイルスは,団体決勝を途中棄権し,「大きなプレッシャーを感じる状況だと,パニックになってしまうことがあります.私は自分のメンタルヘルスに集中し,心と体の健康を危険にさらさないようにしなければなりませんでした.私たちは,自分の体と心を守らなければいけません」とメンタルヘルスの問題について行動と言葉によって指摘した.
50km競歩の金メダリストになったダビト・トマラ(ポーランド),銀メダリストのヨナタン・ヒルベルト(ドイツ),銅メダリストのエバン・ダンフィー(カナダ)は,その種目がパリ大会で除外されたことについて,50km競歩という種目の存在意義やアスリートの声が届いていないことに対する批判を語った.
大会に出場する選手は,競技のルールや慣習,大会運営主体の枠組みに従ってプレーすることになる.しかし,上述したアスリートたちは,それらを批判したり,プレーヤーとしての権利や意志,アスリートが置かれている現状を主張したりすることで,自らの力で大会をより良いものにしていくことに関与したのだ.
楽しむアスリートや主張するアスリートの姿がリアリティ豊かに伝わってくるのは,選手たちがまさにそこにいる,という感覚を持てる開催国の住人ならではメリットだと感じる.彼ら・彼女らをロールモデルにしたスポーツ振興とスポーツ教育につなげたいものだ.